創製記
▼▼あるジャンルの、特に初心者の頃などに、多彩な作品にいろいろ触れてみたり、理論書や技法書によって知識を得たりして、読解の技術を高めていく、技法を得ていく、というようなフェイズがあったりすると思う。こういう時、いろいろと実際に動いてみたりし…
▼▼行動、行為、の背景にある、意識、スタンス、姿勢、あたりの話は、しすぎると、くどくなるけど、しないよりはよい、というか、程よいスパイスとしての分量、というのがあるんだろう。このあたりの話によって(も)文脈が作れるし、作るにあたってちょうど…
スマホで文章を書くことと、パソコンで文章を書くことに対して、なんか違う、なにか違いがある、おなじものにはならない、と感じているとするなら、何が違うと思っているんだろうか。明らかに違うのは、入力方法と、ディスプレイのおおきさ、あと強いて言え…
▼▼Twitterの140字制限の中で小説を書く、という試みは何度か見かけたことがある。専用のハッシュタグもあるようだ(#twnovel)。 ▼▼小説家の北野勇作氏がTwitterでされている【ほぼ百字小説】を改めて一つ一つ眺める機会に恵まれて、読んでいたら、その情景…
▼▼硬さによる詩とやわらかさによる詩、という言葉を昨日思えたのだけど、硬質な論理とやわらかな論理(文章と文章の繋がり、というか、言葉の繋がれかた)によって醸し出せている詩情、と、硬質な単語とやわらかな単語(単語ごとが持つ印象(見た目および経…
▼▼詩を感じる文章が好きだ、と改めて思った。そして、それを書いている人も好きだ(詩情を感じる文章が好きだ、と、最初は書いていたのだけど、この場合「詩を感じる」と「詩情を感じる」は違うかも、って気がしてきたので、変えてみた)。 ▼▼硬質、と、やわ…
▼▼切実さと切なさは少し似てる。切という同じ文字が含まれているとこもそうだし、状態としても同じような匂いを感じる。これはつまり「同じ文字」と「同じ雰囲気」が対応しているんだろうか? と疑問に思った。 ▼▼切実さと切なさが薫る文章はよい――切実さと…
村上春樹 雑文集 (新潮文庫)作者: 村上春樹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2015/10/28メディア: 文庫この商品を含むブログ (10件) を見る▼▼村上春樹の『雑文集』を最近は少しずつ読んでいるのだけど、音楽と音楽家の話がぽんぽん飛び出してきていて(まあ最…
▼▼ある問題を目にして、ふわっと感想めいたものを口にしてみた時、え、こんな言葉が出てくるの? ぜんぜん納得いく説明になってないぞ(口にした瞬間、即座に、違和や矛盾に気づけてしまうレベル……、こんな変なことしか言えない不確かな理解しかないのになぜ…
▼▼ここ最近は少し文章の雰囲気を変えている。枷の強さを可変させている。基本的には規制を緩めている感じかな(一番やっているのはカッコを使うことかなあ)。ちょっと硬直化しすぎてきてないか? と怖くなったせいである。硬直化を打開しようとして、ストレ…
▼▼ころころと動き回る、ぴょんぴょん跳ね回る、ような、文章の置いていきかた、文意の流れや言葉のうねり、というようなものがあるかなー、って思った。この説明の次にこの説明を置くとは……! ここを描写したあとにここを描写するんだ……! みたいな驚異にお…
▼▼短文ぶった切り的なことによって出てくる読みやすさ、って、情報量の見た目とか切れ目、情報が入ってくる量(情報が頭に入力されるテンポやリズム?)による読みやすさ、で、長文でもテンポやリズムがよくて読みやすい、っていう時の読みやすさは、目の動…
▼▼小説の映像化を見た時に、文章が好きだったのにな、なんて思うことがある。好ましく思っていた文章の匂いが、映像変換プロセスの中で、消されてしまった、なんてふうに思って、残念に思うことがあるのだ。が、逆に(そして当然)、嫌いな文章の匂いがうま…
▼▼美術館でじじじと見つめながら作品を鑑賞していると、そのうち不意に、芸術や美術を測るチェックリストの新たな「項目」がむくむくと頭の中に浮かび上がってくる、っていうか、実際に間近で体験できているからなのか新たな物差しの存在に思い至れる(思い…
▼▼最初に、素直に、思ったことを、隠すかのように「話」を迂回させていることが、なんか割りと多いんだよなー、と、改めて気づいた。思考内容を、露骨に、直接的に、話すことを、何となく避けている。なんでだろ。恥ずかしがってんのかな? ▼▼元データ自体は…
▼▼最初にぴかっと閃いた──辿り着いた、具体例/譬え話/比喩、あたりの言葉を、一目惚れによる盲信的な気持ちとモッタイナイ的な気持ちとめんどうくさい的な気持ちの混ぜ合わせによって、改めて選び直そうとしない──破棄しようとしない、固執してしまうし変…
▼▼贅肉を削ぎ落とすことで文章はよくなる、とは頻繁に聞くけれど、現状だとまだ、腑に落とせていないところがあって、削る、って気分で文章を向き合ったことが、少ない。 ▼▼つまるところ、人様の文章を読んで、削ってんなあ……、って思えてない──思えたことが…
▼▼読書感想文にはあらすじばっかり書かない。社会科見学について作文を書く時なんかは時系列に出来事を書き連ねていくだけという形にはしない。好きなもの、という題名で作文を書くなら「ぼくの好きなものは──」とは書き出さない。というか「私は」「ぼくは…
▼▼短い文章で、だん、と、一言、書き切ったあと、それを解説するような比較的長い文章を二文目として置く、っていうのと、さらさらさら、と、多少長い雰囲気の描写や説明のあとに、すっ、と、一言、綺麗にまとめるような一文を置く、っていうのの、対比とい…
▼▼文章に関する解説書を読んだ時に、この著者は「文章が見せうる力の一つである“このあたり”に関する専門家と言えそうだなー」なんてふうに思えることがある。文章が見せる、様々な性質、様々な側面、ごとに、プロフェッショナルがいる、とでもいうような印…
▼▼物語で「選抜試験」的な流れに出会うことがある。好きなほうだ。最近だと『宇宙兄弟』アニメ版を見ていて、面白いなー、と思っていた。物語内に選抜試験があると、合否判定にまつわる展開および演出によって、ほんとうにこれ、誰が選ばれてもぜんぜんおか…
▼▼文章の好み、って、幼い頃からあまり変わってないかもなー、なんていう思いつきから、好みに影響してきていそうな文章における変動要素、って何があるだろう、って考え始めて、文章ってものが感じさせるであろう要素、性質、あるいは、比喩? 等々が続々浮…
▼▼物珍しい単語、物珍しい言い回し、を、あえて置いてみると──ごくごく自然体で出せる単語や言い回しから、あえて離れてみると、見慣れない言葉が放つ新鮮さが、基点になって、文章全体が、くるんと回るというか、輝けるものとして浮かび上がってくるという…
言語的芸術と非言語的芸術の感想の書きやすさの違いとか - 世界は称賛に値するmeltylove.hatenadiary.com ▼▼言語的芸術と非言語的芸術を比べたら、言語的な芸術の感想文のほうが好きかも、楽かも、得意かも、なんてふうに書いた昨日の日記を、改めて読み返し…
▼▼非言語的芸術に触れた時に感想が書きづらいんですよねー、っていう話と、非言語的芸術と言語的芸術を比べたら言語的芸術のほうが明らかに好きー、感銘受けがちーっていう話を、すぐに混ぜる癖があるというか、安易に混ぜたがる(言語的な芸術のほうが言葉…
▼▼聴覚中心/視覚中心/言語感覚中心/身体感覚中心、などの、ひとそれぞれ的な「認識の軸」の違いがあるのです、って話を見かけたことがある(視覚比喩)けれど、こういう「認識における素地」の話と、発語時における「比喩における素地」の話って、同じも…
▼▼文章の書きかたの解説書を読むのが好きなのは著者と言葉の関係性の話を聞きたいところがあるからだ、なんてふうに昨日の日記で思いついたのだけど、これって人が言葉を書く「目的」や「理由」の話を聞きたがってる、って読み取れるような? と閃いて、少し…
▼▼文章の書きかた関連の書籍を読むのが好きだ。っていう理由について 【1】よい文章を記す技術を学び、書けるようになる 【2】文章を書く行為を正当化できる、あたりのことを楽しんだり望んだりしてるところが確かにあるだろう、と思ったのだけど、様々な…
▼▼小説の最初の一行って多彩である。論文のような説明的一文のこともあれば、登場人物の説明、あるいは、主役や脇役による一人語り、後日談のような語り口、誰かが誰かに話しかける台詞から始まることもあるし、状況や風景の描写からも始まる。基本すらある…
▼▼言葉って素敵、という意識からは、やっぱり詩歌に目が向くところあるなー。俳句や川柳や短歌はまず気になってる。区別は前に調べてみたけど改めて整理し直すか。実作を御披露目できる場に乗り出してみる習慣もつけてみたほうがよいのでは、とも思った。こ…