世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年12月23日(月)意識や身体の中で経験が相殺されるわけではない

平均値がぼくの身に降りかかるわけではない

興が乗っているのか最近は日記が長い。楽しんではいるんだろう。が、ほどほどに時間も奪われているため、よい側面ばかりでもない。ここらで、カウンターを当てるように、自分に「極端に短い日記文」を書かせてみせて、意識をリセットしよう、とするような振る舞いが、次の一手として思い浮かんだ。

これまでもそういう選択肢を選びがちだった。極端から極端に走る選択肢だ。反対側にありそうなもの(逆の位相にあるであろうものを丁寧に模索するとかではなく、あくまで、なんとなく逆に位置にありそうなもの)を、ただなんとなく、手なりで、ぶつけてみせる。炎には水をぶっかけとけばなんとかなるっしょ、と、なかば投げやりに決めつける。そういうやりかたが多かった。

極端から極端に走っておけば、いずれどこかで帳尻が合うだろうと、楽観し、その甘い判断のもとで、真面目に向き合うことから逃げているところがあるのだった。判断をなまけていると言ってもよい。甘いものばかり食べすぎていたから、今日は、辛いものを食べちゃいましょう~、それでバランスが取れるんじゃないでしょうか~、みたいな浅はかな認識で、頭をサボらせているところが、たしかにあった。そして、過去形を使ってそれを言葉にすることで、「いまは改善したのです」みたいな雰囲気を醸しだそうとしているものの、別に解決はしていない。

長い文章ばかり書く習慣がいつの間にか築かれようとしていたため、短い文章をぶつけてしまえば、中和されるだろう、なんて、そんな単純な問題なわけないじゃん、とめずらしく認識を改められたため、しっかり言葉にしてみた次第だ。叱責したくなった。複数のおこないの「平均値」が、自分の身体に最終的に落としこまれるものなのである、と錯覚するの、ほんとうに意味わからんから(自戒)。