盾の勇者の成り上がり
コミカライズ版をひさしぶりに読んだ。やっぱり、たいへんおもしろかった。少し前に「文章が下手」みたいな話題の中で原作小説が採りあげられていて、言われてみればたしかにそんなところはあるかも、と思うところもあったのだけど、ともあれ、文章の巧拙なんて関係なくおもしろかったのは思い出した。アニメ版2期の改編がひどくて叩かれていたのも見かけたが、今回読んだところのおもしろさがスポイルされているなら、そりゃ残念だ、とも思った。
デジタルゲーム的な要素が強い「勇者システム」がそれぞれ異なる性質をもって同じ世界に混在しているのが、まず、とても楽しい。体系や機構の異なる特殊能力や異能がぶつかりあう光景はそもそも好きだし、それを、こんなふうに、複数個、絡ませてくるのも、すごい。けっこう稀有な物語力なんじゃないかと思っている。そして、WEB小説版から、書籍版・コミカライズ版に向けて加えられた要素が大きすぎて、そこも、ほんとうに意味がわからない。WEB小説版だけであんな長篇だったのに、そこに、完全な新要素を加えてくるの、やりすぎていて意味不明だ。勢力一個増やすか普通?とは思った。オチに向けて下準備を手厚くしておこうみたいなノリなのかもしれないが。
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頭に合っている
よく使ってしまう単語は、ぼくの世界観に適しているか、ぼくの認識構造に合っているんだろう、とは思った。世界がいくら本来的にはフラットだったとしても、ぼくの頭は、ぼくの経験によって、一定、ゆがんできたはずで、そういった特定の構造の中でこそ(ぼくの頭の中でこそ)共鳴しやすい言葉があるってことなんだと思う。って思えたら気持ちよいし、素敵なのだけど、ぼくが慣れ親しんでいる単語が、かならずしも、ぼくの頭に合ったものだとは限らない可能性もあって、逆にそれは怖い。
予防線を張るのではなく
言い逃れようとしている、とまではいわなくとも、言い訳がましい感じ、取り繕っている感じ、煮え切らない感じ、辻褄合わせしている感じ、みたいな「なんかごちゃごちゃ言ってる」的な話しっぷりになってしまっていると、文章としては、基本、つまらないものになってしまうんだろう、という予感はある。少なくとも、そうなりやすい気はしている。
ありきたりで独善的で頭の固い解釈を押しつけられるのは、困るし、まったく好きじゃないため、そういった誤解を避けるべく、とにかく丁寧に、できるだけ先回りして、ときには性急すぎる勢いで、言い訳めいた言葉で防波堤を築いて、予防線を張ろうとしてしまうことがあるわけだけど、ここの調整がきわめて難しいな、とも思う。
見苦しくならないようにするのが(必死に言いつくろって誤魔化しているみたいにならないようにするのが)、まず、とても、難しい。決してその場しのぎの言い訳ではなく、読者にちゃんと読んでもらうために必要な前置きなんだと、これこそここに置かれるべき言葉なんだと、感じさせる調整が、難題だ。そんな調整が(スマートで素敵な人間だと思ってもらおうみたいな都合のよい調整が)可能だと思うことすら傲慢なのでは?みたいな話も混ざってきそうだし。
とはいえ、「なら気にせず、野放図に、無責任に、ただ言い切ってしまえばよい」と投げ出したいわけでもない。それはそれとして、それを見苦しいものにしているであろう(言い訳っぽさの元凶であろう)ぶよぶよとしたところを洗練させて、「必要な前置き」だと思わせる手腕も、なかなか難儀なものっぽいし。