世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年04月10日(金)じぶんをだいじに、で混乱を止める

傷が混乱を呼ぶ

ひとに迷惑をかけるかどうかなんていうところでいちいち迷わなくていい。自分自身を守るほうが大事だ。というかそれが最優先じゃん。というようなことは、幾度となく言ってきた気がするし、軽々しく断言もしてきたし、いまだって同じように思っているのだけれど、でも、いざ、自分がそのように判定しなきゃいけない事態に出くわしたら、迷いも疑いもなくまっすぐ思い切るのは難しかった。あらがってくるものがあった。ひとに迷惑かけたいわけじゃない。足を引っ張りたいわけでもない。役に立てたらそりゃ嬉しい。役立つなら自分の価値だって信じられるし。と、そのあたりのもろもろが、脳内をごちゃごちゃ這い回る。そうやって優先順位が混乱させられていく。けど、そこで優先順位が混乱し始めること自体が、これまで傷を受けてきた証なんだよ、とも思わなくはない。癒えきっていない傷が場を乱そうとしてきている。なんとかぜんぶチャラにして、ひどくすなおに、自分を大事にできたらよい。何周も思考が回り巡るけど、最終、自分優先の位置でストップさせたい。

2026年04月09日(木)おひとよしばっかりでやっていける

善意解釈機構

お人好しな解釈を愛す。というかもう染みついていて遮断できない。部分的な要素があたえられたら、基本的には、まあまあ善意っぽく見えるよう、組み合わせしまいがち。そういった脳内回路が普通のものだとも思っていたため、善意じみた形に組み上げてもらえることを期待しながら、脳天気に、部分的要素だけを開陳することも少なくなかった。要するに、悪意や懸念や警戒を土台にして組み合わされるリスクを想像できていなかった。ここ数年はこういう思想面の齟齬にやられていた気はする。

2026年04月08日(水)時とともに落ち着いていく文章の躍動感

活力は錯覚な気もする

書き上げたばかりの文章はなんとなく活きがよくて楽しい。さばいたばかりの寿司を威勢よく提供してみせるみたいな楽しさがある。逆に、整え済みのスタンバイ文章は時間とともによどんでいくのでツマラナイ。でも、公開済み文章をふたたび血の通い直す形に補修していくのは(生命エネルギーを注入して復活させようとする試みは)楽しい。

一番目は錯覚なんじゃないかと思うから、丁寧に見つめ直したい。二番目のよどんでにごった文章も三番目の復活劇みたいなあつかいかたをしてあげてくださいよとも思った。

落書きやラフスケッチ、若書き、勢いだけで推敲せず書いたやつが、結果的になんかノリノリで、整えたものよりよほどウケる、みたいな状況と似た話かな。

2026年04月07日(火)覚悟なしの夢想

ぼんやりやっている

腹をくくれない。どうも苦手だ。覚悟を決めないまま、運よく、うまいところに着地してくれないもんかな~、と、現実逃避めいた期待を持ってしまっている。結果的に、基本、散漫だ。集中しない。フラフラしている。取捨選択してやるべきことに専念していったほうが、散漫さやフラフラさをなくしていけるはずだから、捨てるべきものを捨てたほうがよいよ、とは思わなくもない。が、いちいち捨てたりしなくたって意外となんとかなるでしょ、と思いたいんだと思う。捨てたくない。もったいない。お出かけのときにおもちゃをぜんぶ持っていきたい子どもみたいな振る舞い。そういう脳内お花畑みたいな欲が、決意や覚悟より先に来て場を抑えてしまう。まあ、ほんとうに貧したらまた別なのかもしれないが、とはいえ、実際そのような境地にたどりつけるかも、いまさらわからない。

誰だってできる範囲でやれることをやっていくしかない、どんな生き方であろうと自分の特性だと受け容れてやってみるしかない、みたいな観点でいうなら、このような「散漫さ」をどうにかこうにか活用してがんばってはいきたいとは思う。逆のほうに振り切ってみればそれはそれでひとつの個性、生き様になるさ、みたいな切り口はもちろんあると思うのだけど、ほんとにそんなうまくいくかなあ、という気もしなくはない。でも、狙うならこっちなのかな。

2026年04月06日(月)テトリスみたいな言葉の積み方

きれいにつみあげるだけ

ほとんど破綻しているようなことばの並びがむしろ詩っぽくなるんじゃないか、みたいなめちゃくちゃ浅はかな論理のもと、どんどん断絶させていきながら、なんとなく独特の雰囲気だけは想起させてもらえるような、ふわっとした支離滅裂日記も書き始めた。これが詩でも詩じゃなくても、愉快だ、ってなった。悪くない。というか、吐き出されたことばをぽんぽん置いていくのがおもしろい。テトリスみたいなノリ。

2026年04月05日(日)ホビー日記

そこにある歴史や思想や有名人まで好きになっちゃったら、もうその界隈に絡めとられてしまったな、って思う。ライフワーク判定してもよい気がしてくる。ボードゲームはかんぜんにそういう極まりかたでハマってしまった。読書も似たようなものだけど、「読書」ってくくりじゃ、範囲が広すぎる気もしなくはない。なんにせよ、ボードゲームと読書がぼくの人生における、趣味とか道楽といったものの、二大巨頭にはなった。

「ボドゲ日記」を書き始めたら、けっこう楽しくなってきたので、だったら「本日記」も書きたいなと思った。一日一個、体験や思い出を、サクッと短く語ってみせるくらいが、ちょうどよく楽しい。よく考えたら「日記」もホビーみたいなもんなので、いずれ「日記日記」とか言い出しそうな可能性もある。