世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月29日(水)短く語る

短文日記スタイル

同じ行為でも淡々と継続させていたらそれだけで迫力が出る。数日前にも書いたがあらためて思った。三行日記・一行日記といったスタイルで粛々と日記を書き連ねているひとの姿もときどき見かける。好きな切り口だ。三行・一行くらいが効果的でもあるんだろう。シンプルで、見やすく、一覧性が高くなる。結果として見通しもよくなる。全体像も把握しやすくなる。そして、"見通しがよい"ほうが流れと積み重ねによる迫力を見せやすくなるんだと思う。とにかくいっぱい並んでいる光景はシンプルによい。配置と背景から見出せる意味の流れもたいていはおもしろい。ただ、あせって実現できるものではない。一朝一夕にやろうとするとメッキが剥がれ落ちる。着実に積み重ねていくことだけが、きっと、弾みをつけてくれる。よい感じに脂が乗る。

2023年11月28日(火)精緻に話を聞く

ヒアリング

昨日・今日と続けて面談の業務があった。ヒアリングはかなり好きなほうだと思う。聴く・尋ねることに関するスキルがある、スキルによって効果が変わる、ということを現職では学んだ。ひとことも聞き漏らさないようにしようという心構えでも、情報の透過度、背景の見通しやすさ、解釈、雰囲気、などが変わる。やりかたで対話結果の質が変わる。変えられる。といったことを、少しは踏まえられるようになった。極めようと上を見始めたら切りがないくらいの上手い下手があることも実感した。「傾聴」という概念にも興味を持つようになった。実際問題、ヒアリングするときの油断も減ったと思う。相手の話の「順番・構造」「言い回しの選択」「表情の明暗」「言うのを避けたであろうこと」「因果の混乱」などにも着目するようになった。とはいえ変に考えながら話を聞くと聞き逃すのでまずはリラックスして具体的な言葉を受けとめるスタンスも少しは身についた。

このあたりは話題書として見かけて読んだ『LISTEN』がだいぶためになったと思う。最近パラパラと目を通した『まず、ちゃんと聞く』も同じくらい上質な指南書の気配があったかな(ということを思い出したので、いま書きながら電子書籍で買ってしまった。ブラックフライデーセールもあったし)。売れ線どころだと『プロカウンセラーの聞く技術』というタイトルも思いつくのだけど読んだことはない。昔から気にはなっているが読みやすさを最優先にした薄味の書籍の可能性もあるため少し警戒している。

bookmeter.com

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コミュニケーション全般

関連で言うと、マネジメントやコーチングに関することを思案する機会も増えて、そういったところでも「ヒアリング」「傾聴」という概念が重要になってくるんだろう、むしろ最重要と言ってよいくらいなのでは、といったことも考えるようになった。相手の話を優しく引き出し、真摯に受けとめ、前向きな言葉を伝える、といった技術が見せる効果とその普遍性を理解したというか。マネジメントやコーチングに限らずコミュニケーション全般において必須である、と思えるような情景も思い描けるようになった。

日常業務の面談・面接・打ち合わせでも聴く・尋ねるの向上を多少は意識している。意識するようになって振る舞いも変わったと思う。理解も前よりたぶん精緻になった。まだまったく足りていないかもしれないが徐々に前には進んでいる。学んだ具体的な指南の中で有益だった教えは、「次に自分がなにを言うか考えながら相手の話を聞くのをやめる(うまいこと言ってやろうとするのは論外)」であった。とにかく頭を無色透明にして素直に話を聞く。頭の中に情報をただただスルスルと流していく。そうすることで、意外なほど、不整合に気づけるし、新たな切り口も見えてくるし、疑問も浮かんでくる。そうしたら、ただそこについて細かく質問すればよい。それによって、またひとつ、そこから話が進む。切り口鋭い質問をしなければならないと脳を働かせながら話を聞いてしまうと逆に聞き逃しが発生する。そんな曖昧な理解を生み出しかねないスタンスで聞き続けるよりは、いったん頭を空っぽにして耳を傾けたほうがよほど鋭く話を進められると学んだ。

2023年11月27日(月)結論を前に出す

返答を後回し

来ていた連絡の返答を一週間くらい放置してしまった。メールやLINEの返信をたいした理由もなく後回しにしているシチュエーションである。基本的には即座の返信が最適解なんだろうと最近は理解している。そのやりかたならデメリットがメリットを上回ることがないという印象だ。プラマイで考えるならほぼほぼプラスで終わらせられるというか。そんなふうに考えているにもかかわらず、油断すると後回しにしてしまっている。時間をかけて検討したところでたいてい答えは変わらないといった経験も重ねているはずだが、振る舞いはなぜか変わらない。気づけば「あとで返信しますかねえ」って考えている。「検討して返信しま~す」「いまバタバタしているので落ち着いてから返信しますね〜」といった暫定回答をはさむ作戦も会得したつもりだが、実践できない場面もやはりある。むしろ暫定返信したことによって油断が加速し後回しにしてしまっていることすらある。今回も似た状況だった。

結論ファースト

業務上の面談をおこなった。最近の対話では「結論から言うと」の効果を実感させられることが多いな。たしかにわかりやすくなると感じる。が、ぼく自身はまだまだうまく使えていない。使い慣れていないことによる緊張が違和を生んでいると感じる。使いどころを適切に選べているかもあやしい。今日おこなった業務面談では、この"結論ファースト的スキル"が高い人物の話を聞く機会があって、たいへん参考になった。近距離で目の当たりにできるとやはり浸透度が違う。しっかり"喰らえる"感じがする。それだけで満足感はあった。

準備したのちにみずから話すとき、あるいは、たとえばこちらからメールを送るときに、"結論を前に持ってくる"ことはできていると思う。が、質問されたときにはそれができていない。瞬時の並び変えが難しいんだろう。構造化や精緻化の問題だと考えている。頭の中に、普段から"結論ファーストに耐えうる理解"を作っておく必要があるんだと思う。けれどそれができていない。認識した物事をごちゃごちゃのまま頭の中に放置しているイメージは正直ある。これを普段から「地図」や「立体」のようなイメージで構造的にしておくことで、ローディングが早くなる、整理された答えが出しやすくなる、という効果はたぶんあるんだろう。

2023年11月26日(日)病床から脱する

落ち着いた

家庭内のインフルエンザウイルスの蔓延は落ち着いた。発熱面でいえば想定よりは被害が軽かった。自分も罹らずに終わった。着替えも手洗いもマスクもうがいもこまめにおこなってあらがった。潜伏期間が3日は見込まれるはずなのでまだ確定はしていないが。いずれにしても全員が病状に伏すことにならなくてよかったとは思う。極力感染しないよう気も使っていただいた。感謝したい。お子様の発熱も長期化しなかった。これまでも発熱した経験はさほど多くなく、苦しそう・つらそう・見ていられないといった憔悴や消耗もほとんどお目にかかったことがない。ただそのせいで耐性はできていない。今後、目の当たりにしたときに必要以上に動揺しそうだとは怖れている。

不機嫌を警戒

端的に自戒だが、ツラさから来る表情や発言が不機嫌から来ているものに見えてしまい警戒する癖があるなと今回は反省した。意図せず言い換えそうとする気持ちの動きも観察できた。明確によくないと判定したい。対処もしたい。いまはことばにしながら振り返っているから落ち着いて見つめ直せているが、だからといって今後、それを意識しながら実動できるかはまた別の話だし。殊勝なことを言っていてもまったく変わらない(変えられない)ことなんていくらでもある、というか、思い返して言葉でダメだと嘆いてみたところで今後の実動に得られる効果なんて微々たるものだろう。ただでもとにかく、無理、我慢、矯正、演技、といった範囲に足をつっこんででも、直すことを心がけてみてよいところだ、とは判断しておきたい。思いは置いておいて機嫌よく振る舞ってみせること、しかもその相手が親しい相手であればあるほど、そのおこないを「よくない」と思いたがる習性はたぶんある。逆に言えば、心を許している相手に自然体の心・振る舞いを見せることを「よし」と思う習性がある。ぜんぶがぜんぶそうじゃないだろとは思った。

2023年11月25日(土)淡々と書く

淡々と書くひとたち

anond.hatelabo.jp

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シンプルで地味な行動であっても淡々と続けていくと迫力が出る。たとえば最近だと匿名ダイアリーで連日「ゲーム日記」を書いているひとが思いつく。取りまとめてくれた記事もたいへん素敵だった(ノベルゲームやアドベンチャーゲームが好きだというのもあって非常に参考になった)。食事の写真だけを公開しているひとも、トルネコの大冒険だけをずっと遊び続けているひとも、ボードゲームの感想だけを端的に書きつけているひとも、自動販売機の写真だけ撮影しているひとも、見かけたことがある。どれもよかった。積み重ねが凄味に化けていた。こういうものも書いてみたいも のだとは思う。

エックス

類似の話というか実際はあまり関係ないのだけど、運営の問題で最近はTwitterが信頼しづらくなってしまい、いつ消えるかわからないくらいの場だとすら認識している。結果、言葉を置くのを少し避けるようになった。いまこれを読んでます、いまこれを観ています、いまこれを聴いています、これを書きました、という話だけを記録する場にしてしまっている。なんとなくそんな感じで、いちおう、見た目上は、シンプルで地味な行動記録、のような状況にはなっているかなとは思った。

2023年11月24日(金)感激が図抜ける

サイエンスフィクション

ジャンルにフォーカスするならサイエンスフィクション(SF)が飛び抜けて好きである。とはいえ、SFばかり読み続けることは少ない。濃密すぎて受けとめきれなくなってくる。感激が強すぎて精神の壁が削られていくというか。いずれほかのジャンルが読みたくなってくる。ミステリ、ファンタジー、ジュヴナイル、あたりをぐるぐるさせているのが結局は「答え」になっているかな。

おもしろい!!!すごい!!!といった衝撃の話をするならSFが際立ってはいる。が、求めている味わいはひとつだけではないんだろう。超絶美味であっても延々と繰り返すことを求めているわけではないようだ。味わいは変えたくなる。人間の「飽きる」性能は極めて高度だという話も聞くので、その延長線上にある精神の問題ではあるんだろう(という言いかたをすることで単なる飽き性だという解釈をごまかしている)。

哲学や文学の本と、芸術の本と、ビジネスの思考・知識・スキルの本(これもそれぞれ味わいが異なるが)と、心理の本、経済の本、科学の本、などといった学術書・ノンフィクションも、ジャンルを回転させながら読んでいる。世界のさまざまな側面をぐるぐる見ていくのが好きといえば聞こえはよいと思う。

ブラックフライデーセールの絡みでまたKindleのSF作品(ハヤカワ)のセールが話題になっていた。こういう推薦作品を見かけるたびに、積ん読を重ねながら、こんなに読み切れんと哀しんでいる。傑作が薫る作品がこんなに増えていても延々と読み続けることは難しい。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

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前置きが長くなる

文章の下ごしらえに時間をかけすぎて話が中途半端になってしまうことは多い。専門的な言い回しが出てくるたびに用語の説明からやり直したがるというか。たとえば趣味の話であっても、詳しいひとしか知らないような話がかかわってきたら、いったん立ち止まって、むしろ後ずさりして、説明し直そうとする癖である。「それはそれでよいんじゃないの」って気もしないではない。たしかに専門用語を垂れ流す文章を連発するよりはマシだろう。が、そのせいで「下ごしらえだけで終わり」が続いていたら意味がない。前に進まない。滞らせたくはない。そもそも、日記のよさは、あくまで"自分にわかればよい"、つまり、専門的なことの説明に時間を取られることなく前にがんがん進んでよい、独善的な文章でもよい、っていうところにあるんじゃなかろうか。せっかくのウリを無碍にしているのはもったいない。