世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年03月08日(日)慣れたかっこつけを捨てすぎない

愛するややこしさ

誰でもわかるようなことばを使おう、恰好つけすぎるのはよくない、奇をてらいすぎるのはよくない、と、そういった助言にしたがって、ひとりよがりな文章からなるたけ距離を置こう、とは考えて、単語の選び方も工夫するようにはなった。

ひらがなのほうがいい、やまとことばのほうがいい、形容詞や副詞は足しすぎないほうがいい、丁寧に接続詞を使って混乱させないように書こう、端的に書こう、言い切ろう、と、読み手にとって「よいもの」であるよう、一定、変化させてきたところはあると思う。読み手を意識し、配慮し、親切にする。そういう挙動を成長や進化なんだと一定は信じた。

けど、そういう自戒によって、この身に馴染んでいた「ややこしい言い回し」から、ちょっと距離を置きすぎてしまったんじゃないか、と、今日は少し反省する瞬間があった。

慣れ親しんだことばたちを、無理に突き放し、逆側に立つことを意識しすぎた結果、ぼくにとって大事だった言語空間を、手放しすぎてしまったんじゃないか、という感覚が、ちょっとあった。なんかうまく世界が見渡せなくなっている、レンズの歪みというか曇りに気づきにくくなっている。ことばの乗り心地が悪くなっている。そんな気配があったなと思う。

2026年03月07日(土)その日の何かを暮らしと書く

暮らし

どっかのタイミングで、(こういう気持ちが背景にあるときは)「人生」って書くより「生活」って書いたほうが妥当なのかもしれん、と思って、言葉選びの基準を変えたところがあったのだけど、「生活」って書くより「暮らし」って書いたほうがよいかも、と感じる場面がときどきあることにも、最近また気づいた。

どういうニュアンスの違いを見つめて、そこを線引きしようと思っているのか、自分でも詳しくわからないところはあるのだけど、でも、そのときどきでちゃんと線引きしてみせたほうが、今の自分が納得できるのはたしかだ。違和感を消せる。消せるようになった。成長にともない、ちょっとずつ"まなざし"を細やかにしていくことができた、って捉えられるなら、ありがたい。

2026年03月06日(金)記事をかく

事実を足場に

事実ばっかり書くなんてつまらん(あなたの細やかな感覚や感情を丁寧に描き出してほしい)、といった文章観の話に感銘を受けた結果、客観的事実を足場にするタイプの文章作法をじゃっかん軽視し始め、具体的・客観的内容からレポートをまとめる筋力をつけきれなかった感は、なくもない。少なくとも、慣れないまま来てしまった。無自覚に避けている気配もある。

トレーニング方法を考えるなら、客観・具体・物理・事実、と呼べるタイプの情報を集めて、整理し、取りまとめた「記事」を、書く訓練をしてみたほうがよいんだろう、とは思った。感想じゃなく批評を書く、って、つまりそういうことな気もするし。

というか難しく考えなくても、具体的な部分を描写する日記と、勉強した内容をまとめるノートを、意識的に書いていけばいいんじゃないかな。それが訓練に適した実践という気はする。

2026年03月05日(木)ことばにいしきをひっぱられる

途中から謎そのものじゃない

惹かれるものが目の前に置かれると、あっさりとそこに意識が引っ張られて、もともと考えていたはずのことが雲散霧消してしまう、みたいな現象があるなと思う。

こういった構造の話でいうと、これはなんだろう???といった"感じ"を覚えたとき、それを「疑問文」「質問文」に変換していくプロセスで、ふと「ことば」としての欠落やズレに意識を持っていかれて、そもそも目指していた「不思議ポイント」を見失わされてしまった、というケースはけっこうありそうだと思った。謎じゃなく、謎をあらわす言葉ばっかり、途中から見始めちゃってる気はしなくもない。

2026年03月04日(水)あったほうがよいのか

基本あったほうがよいなら、あったほうがよい

あったほうがよいはず、と素直に思えるようなものであっても、それが「ある」ことが要因となって発生するかもしれない副作用が(たとえば偏りや疲れや腐りが)、ときどき、悪いほうに働くことだってあって、そういう「副産物的な悪」ばかり目立つところに置かれると、それを眺められる位置に立たされて、「あったほうがいい」とは言いづらくなる。断言には躊躇させられる。

こういう構造のシチュエーションが、めっちゃあるはずなのだけど、その場に立つと、そんな都合よく、上手に気づけないことも多くて、「うーん、そうそう、悪い場合もあるから、ケースバイケースだね」とか言っちゃっていることがある。善悪5:5みたいなところで話し始めのスタンスを譲っちゃっていることがある。ので、ふだんからこの手の"流され"の怖ろしさと良くなさは意識できるようにしておきたい、とは思った。その手のことを狙う陰険な仕草にもまどわされないようにしたい。

増殖する毒

長い目で見ると、最初は副作用や副産物であったはずの些細な短所が、じわじわ増殖・侵食していって、メインストリームの長所をいずれ凌駕してくることがあったりもするんだよな~、とは思う。

一定の本体とわずかな地点から増え続ける毒、みたいな関係性もまた、ときにはふつうに見られる。こう考えちゃうと、けっきょくは行き詰まって、途方に暮れるパターンもまあ、あるわけだけど。

選びきれず

長文を書いていったすえに、結局はスタート地点に戻らされたり、行きつ戻りつ選択肢を選びきれないまま半端な状態で終わらされたり、なんの時間だったんだ?って思わされることも少なくはないが、それを安易に無駄とか思いはじめたら、それこそ、愚かの極みっていう気もしなくはないな。

2026年03月03日(火)エスプレッソ・コーラ

療育

まんが『エスプレッソ・コーラ』をここ数日ずっと読んでいる。児童発達支援の現場を舞台にしたWEB連載の作品で、知ったきっかけは些細なものだったのに、膨大な連載を一気読みしかねないくらいハマっている。子育てと並走させて読んでいるのでより熱が入るという側面はそりゃあるとは思うが、それでもなくてもおもしろいと思う。

楽しさの火力が強すぎて、単に『エスプレッソ・コーラ』とタイトルを挙げるだけの局面で、思わず、『エスプレッソ・コーラ』(めちゃくちゃおもしろい)と括弧書きを付けたくなっているのに気づき、コイツおもしろさの奔流に耐えられてねえ~、とはなった。

🟩新連載版 【第1話】エスプレッソ・コーラ~児童発達支援ももの木スクール~|カドコミ (コミックウォーカー)