愛するややこしさ
誰でもわかるようなことばを使おう、恰好つけすぎるのはよくない、奇をてらいすぎるのはよくない、と、そういった助言にしたがって、ひとりよがりな文章からなるたけ距離を置こう、とは考えて、単語の選び方も工夫するようにはなった。
ひらがなのほうがいい、やまとことばのほうがいい、形容詞や副詞は足しすぎないほうがいい、丁寧に接続詞を使って混乱させないように書こう、端的に書こう、言い切ろう、と、読み手にとって「よいもの」であるよう、一定、変化させてきたところはあると思う。読み手を意識し、配慮し、親切にする。そういう挙動を成長や進化なんだと一定は信じた。
けど、そういう自戒によって、この身に馴染んでいた「ややこしい言い回し」から、ちょっと距離を置きすぎてしまったんじゃないか、と、今日は少し反省する瞬間があった。
慣れ親しんだことばたちを、無理に突き放し、逆側に立つことを意識しすぎた結果、ぼくにとって大事だった言語空間を、手放しすぎてしまったんじゃないか、という感覚が、ちょっとあった。なんかうまく世界が見渡せなくなっている、レンズの歪みというか曇りに気づきにくくなっている。ことばの乗り心地が悪くなっている。そんな気配があったなと思う。
