世界は称賛に値する

日記を書きます

言語的芸術と非言語的芸術の感想の書きやすさの違いとか

▼▼非言語的芸術に触れた時に感想が書きづらいんですよねー、っていう話と、非言語的芸術と言語的芸術を比べたら言語的芸術のほうが明らかに好きー、感銘受けがちーっていう話を、すぐに混ぜる癖があるというか、安易に混ぜたがる(言語的な芸術のほうが言葉による感想が書きやすいじゃないですか、ゆえになんか好きなんすよねー、なんて形で繋げてしまうことがある──ある? いや、違うかな。言語的芸術が好きだし、感想も書きやすいし、素敵だ、てなふうに並び立てたがる、と言うべきだろう。言うなれば「無関係だ」とは思えてない──)のだけど、これ、別案件じゃないか? と改めて思った。同じ釜の中に入れない方がよいのでは、って思えてきた、のだった。


(間)


▼▼いやでもむしろ、別案件ではない、のかなあ……、とも思えてきたな。
▼▼言葉による感想が書きやすいもの、は、じぶんの性に合ってるもの──性格や性質と相性がよいもの、であって、感想の書きやすさ、と、受け容れやすさ/好ましさ、は比例とか連動とかする(受け容れやすさと好ましさの繋がりも前提にしないと駄目か)、という切り口が、あってもよい、気がしたのだ。
▼▼ここで接続できるんじゃあ、って思いついた。裏表関係にできる、というか。
▼▼という流れで行くなら、芸術が言語要素を持つかどうか、は、言葉による感想の書きやすさとは関係ない──感想が書きやすいかどうかは、芸術側の言語性よりは、じぶんの性に合ってるかどうか、から来る影響のほうがおおきい、ということになっちゃうんだよなあ、とも思ったけど……。▼▼でもまあ、どうなんだろうなあ……。芸術が持つ言語性と相性、二つとも関係してくるものだ、でもよいのかもしれないが……。確かに、二つのうち片方だけで片方は無関係、ということもなかろうし……。
▼▼言語的な芸術だと言語によって感想書きやすいっすね、っていうのを、疑念なく受け容れちゃってるなー、とは思った。▼▼って書いてみたところで、あまり疑えてないのだけど……。▼▼このあたりは経験則的に実感できちゃうところが多すぎる……。
▼▼とするならば、絵の感想は絵でなら──音楽の感想は音楽でなら、書きやすい、って言えるのか? というのも思った。ってところから、絵での感想とか音楽での感想というのはそもそも何? と派生して、というか感想って何? に至った。
▼▼感想ってもしかして言語限定なの? という疑問文すら浮かんだ。微妙だ。感想のような絵、感想のような音楽、を、在りかたとしては想像できたのだけど、これってほんとうに「感想」なのかなあ? って思ってしまったのだった。
▼▼芸術に芸術では答えられない? という閃きも得た。▼▼誰かの絵を見て、じぶんも絵を描いたとしても、実はそれは感想ではなくて──受けた言葉、受けたもの、って感じじゃなくて、継承、とか、繋がり、とか、になっちゃう気がする、のだ……。感想は「繋がり」ニュアンスではない気がするし……。