世界は称賛に値する

日記を書きます

硬質だからこその詩

▼▼詩を感じる文章が好きだ、と改めて思った。そして、それを書いている人も好きだ(詩情を感じる文章が好きだ、と、最初は書いていたのだけど、この場合「詩を感じる」と「詩情を感じる」は違うかも、って気がしてきたので、変えてみた)。
▼▼硬質、と、やわらかさ、なら、やわらかさのほうに詩を感じる性癖がある(習慣が出来ている)気はしている。そして、じぶんは書く時には硬質な文章が好きなほうかなと思える(最近は少し意識して変えているところがあるけれど)(やわらかさ、と少し違う、しなやかさ、という言葉も思いついたのだけど)。
▼▼ただ、硬質な文章に詩(や詩情)を覚えない、ということではなくて、硬質な文書であるからこそ浮かび上がってくる詩とか詩情とか、みたいなものがあるようだなー、というのもぼんやりとは認識している。硬さの組み合わせというか、硬さの極地にこそというか、硬さでの遊びかたによっても詩情が出せる、という感じがある。
▼▼硬質な文章を嗜好する者として(なのかなあ、ほんとうに)、硬質な文章だからこそ出せる詩情、みたいなものを狙い撃ちがっているところもあるというか、そういうものが出せていたらよい、と思っているところがあったりはするし、時々は、これならそういう感じが少しは出せたかなー、って悦に浸っていることもあるのだった。