紆余曲折はくどいが
文章を書いていく中で、さまざまな紆余曲折を経た結果、「ぼくはそもそもこういうこと言いたかったんだな」と、贅肉の削ぎ落とされた、スッキリした話の筋が、最後の最後になってようやく見えてくることが、たまにある。そして、そうなると、その無駄のない「最短経路」だけを描く形に、書き直して、話を終わらせてしまいたくなったりもする。とにかく、話がくどく見えてくる。
ただ、そうすると、「あっちこっちに寄り道したルートの形状から、最後、最適な経路を見つけ出すことができたのだ」といった、気づきのプロセスが、消し去られてしまう。闇に葬られる。記録にも残らず、再現性も下がる。別に再現性を下げたわけじゃないんだよね?って自問自答していた。消してしまってもよいくらい、しょうもない発見であるケースも、なくはないが。
包み隠さず伝えよ
「包み隠さずぜんぶ報告せよ」「オブラートに包んだりするな」と言った口で、「しょうもないこと言ってんなよ」「いらん話するな」「そんな話聞きたくない」「そんなの当たり前のことだろ」「もっとちゃんと聞いてこい」「ここまでツッコめよ」みたいなことを言われるケースが少なくなくて、はあ、と思うようにはなった。言いづらくしてくるじゃんか~、って思った。まあ、報告しづらいのは間違いないにしても、しょうがないから(ファクトベース・ゼロベースで伝えることの意味合いも理解できるようになったので)、ヘンな憶測などを加えずストレートに伝えるようにはなってきたけれど。
とはいえ、重要事項・些末事項の取捨選択の問題とか、「ぜんぶ報告せねばならない」「いらん話はしない」の噛み合わせかたの問題とか、まだまだ塩梅がわからないところは多い。塩梅の問題ではなく、気分でむちゃくちゃ言われているだけの可能性もなくはなさそうかなとも思っている。
後半に書いた「深掘りせよ」系の叱責は、そんなふうに個々の発言や人格に対して頭から疑ってかかるのはさすがに無理があるのでは?と思えるようなレベルの要求だった。鵜呑みにしすぎないように、といった指針があるのはわかるのだけど、「ほんとうに?」と問いかけ続けるのにも、限界がある。信頼性を損なっていくばかりだと思う。齟齬がないか互いに検証できそうな別の角度の質問をはさんで、ちょっとした懸念点を確かめておくくらいが関の山だろう。
黙って一通り聞いてほしい。話を奪わないでほしい。そして、類型的で陳腐な解釈に回収せず、個別的に事象を受けとめてほしい。そうしてくんないかな、みたいな気持ちが、最近の報告の際の頭の中にはあるのだった。
どの範囲に伝えるのか
めんどくさくなるから、今回、このひとに、そこまで報告しなくていいよ、みたいな助言が一回でもあったら、もう、どこまで報告すべきか、こちらで判断するの不可能になるんだが?みたいな気持ちも、別途ある最近だ。