世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年08月22日(木)いろんな場所、いろんな文章を、描き分ける

いろいろ書きたい

  • たとえば10分制限で文章を書くと決めて、ほんとうに、文章や変換の途中でぴたっと、力尽きたかのように、言葉が止まっていたら、尊敬する。自分は苦手だ。きっと、だいたい終了1分前くらいには調整しようと動き始めてしまい、しかも、最後の10秒とかを無駄にする。あるいは時間を超過して違反する。

  • 書きたい話や切り口がなくなってしまった、とはたまに思う。が、この話を書きたいな、という着想を残した断片メモはたくさん残っている。読み返したときに「意味わからん」となるような、あとからトレースできない"気づき"もなくはないものの、書こうと思えば書けるものも多い。だからそれを書けばよいんじゃないの、とは、まあ、なる。正直、断片メモには意識が向かない。あるいは、気が乗らない。たぶん、「着想」が好きなのだ。ぬるっと言葉が出てくる瞬間ばっかり追い求めている。「日記が好きだ」とかよく言うが、実際は、頭から言葉を出す行為を正当化するための、そういった行為を後押ししてくれる場で過ごすための、ちょうどよい言い訳、ってところもたぶんある。いま書いているこれもだいぶそれだ。

  • 放置気味のMastodonを再始動させようと、一回、ひさしぶりに日記文を書いたが、結局また停滞している。が、ともかく、再始動させるつもりだ。具体的なシーンを描こうとする言葉がここには少なすぎる。というか、ぼくの人生に少なすぎると感じた。具体的な光景の描写、および、それを多面的に描写する、といったお題目が掲げられている場を設けてみよう、と発想した。Mastodonの雰囲気はあいかわらず好きなので、ほっとくにはもったいない空間だと思った、っていうのもある。

  • 日記(ブログ)の「あとがき」めいたものも書いてみたらいいんじゃないの、とも発想した。書き出したら、内容は、「要約」「解説」「別解」「余談」あたりにきっとなる。そういった、添え物みたいな言葉があってもよい。最後にちょっと距離を置いて、落ち着いたとこで出てくる言葉を、眺めてみてもよい。自分がどういうことを書くのが見てみたい、というのはある。最後に、場をきゅっと締めるような言葉については、サボりがちだったとも思うし。