世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年06月06日(木)空元気から始まる(空元気で終わらせる)

空元気

空元気を推奨したいわけではないのだが(空元気、まったく嫌いじゃないが)、極めて陰鬱な気持ちと表情のときに、あえて――ほんとうにあえて、明るい文章を書き連ねてみる、ということに挑んでみてもよいんじゃないすかね~、とは思った。精神と言葉をどれだけ乖離させられるか、気持ちと現実をどれくらいねじ切ることができるか、というところで遊んでみるのは、かなりよい、と最近は考えている。

しまった・くれた

「こう動いた」「こう動いてしまった」「こう動いてくれた」といった"文末の選びかた"によって、フラットな話、不満混じりの話、嬉しい寄りの話、といった空気を、それぞれ表現可能だな、と感じることは多い。ぼくの場合は、現状、「~してしまう」を持ち出してしまいがちだ(こういう感じで)。が、曖昧な形状で「不満」を表出させるのって、あんまりよくないんじゃないかな~、って思った。しょうがない、やむなし、いやいやではありますけども、というような「言い訳めいた空気」だけを出していても、メリットは少なそうというかな~。小狡い雰囲気が出てしまうだけだぞとすら思った。変な正当化・責任転嫁をしている気分にもなった。こういう色合いはあんまりよいものではない。振り返ったときに、とある一日が、そんなような小狡さで染め上げられているのは、きっとあんまり楽しくない。質素かつ端的、フラットな描写は、よい記録になりやすいやつだろう、って感じることが最近は多いかな。ちなみに、「~してくれた」のほうは、基本、好きなニュアンスではあるのだけど、やや作為的っぽくなるというか、妙な違和感が浮き彫りになることもなくはなく、これもまた、使用をためらうことがあったりはするのであった。