世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年08月23日(金)成長とか進歩とか進化とか退化とか

前提がおかしかったと気づく

こういったケースがあるあるだろう、と気づいて、それを下地にする形で、思索を始めることは多い。意見するような形で、日記にすることも少なくない。が、のちのち、時間がたち、成長したことで、いや別にそんなことないだろ、って思うようになってきたりもする。

「そんなこと絶対ない」と、まるごと否定するような思想に移り変わる、というよりは、ある意見の(特に断言している意見の)、前提知識や前提条件、因果、細かい表現、などに対して、ん~?なんかちょっと違くない?もうちょっと妥当なものがあるように思うけど?なんて思うようになることが多いかな。乱暴な断言であったことが、気にかかるようになってくる。逆にいえば、認識が、いつの間にか、より繊細で精緻になっている。というのは、まあ、嬉しいことではあるんだろう。

いずれにしても、かつての自分の文章を読み返したときに、黒歴史だ~、なんてふうに恥ずかしく感じられてしまうのは、ここが変わるからなんじゃないか、とは思ったのだった。どうしたって読み返しを阻害する話ではあって、別に嬉しくないのだけど。

あと、逆に、時間がたつにしたがって、認知がより大雑把になり、まどろっこしい!よくわからない!めんどくさい!と一蹴したくなってしまうようなパターンもあるんだろうな、とも思った。ときとともに粗野になっていく場合だ。こちらのほうがよほど多いという気もしなくはない。細かい違いをとらえきれなくなる。いまこうして自分が書き残している単語の選択基準を見る限り、ぜんぜんよいことだと感じていないことがうかがわれるが、しかしまあ、むだに穿ちすぎだった可能性ももちろんあるし、よしあしではあるんだろう。

進化

学問的な地平のもとでは厳密な意味合いで適用されていた専門的な用語が、いずれ、研究者ではないひとたちに、勝手に意味の範囲を引き延ばされて(字面に引きずられてたりして)、適切ではない用法で使われ始めたりする、微妙にそぐわないところにあてがわれることが増えてしまったりする。"それっぽい"だけ言葉に成り下がっていくことがある。この手の現象は、嫌いなんだけど、まあ、おもしろいな、とも思う。狂わせられていく様は、一定、おもしろい。

わかりやすい事例、よい事例は、「進化」かな、って考えていた。「退化」と対比して関係性を見ても、なかなか微妙だし。ポケモンやデジモンといった傑作によって、誤解釈がさらに広められ、なんだかすごいことになっている。これだけメジャーでこれだけ誤用されているのも珍しい。そこも感心する。