世界は称賛に値する

日記を書きます

ふわふわの入り交じった4/23日

箇条書き

  • 冗談まじりだけどわりと本気、くらいの気持ちのもとで産み出した"思いつき"を、リストアップ的にメモしていく記述が、一番楽しい可能性はある(一番は誇張だと思うけど)。
  • 楽しい楽しくないはともかく、ひとことコメント的な"発想の断片"を羅列していっているときが、その瞬間の気持ちや感覚といったものを最も的確に切り出しているところはあるかも。
  • 箇条書きみたいにひとつひとつの思いつきを書き上げていくやつ(これ)、項目と項目の意味や文脈がつながっていると(前の項目を受けて次の項目が生まれている状態だと)、こんなの箇条書きじゃない!とは思いがち(項目それぞれが断絶していてほしい派っぽい)(あくまで理想の話であってそれが実現できるというわけではない)。
  • 最近""を連発する癖が出来たが、以前、「」を多用していた時期があるのと同じ癖だよな~とは思う。「」は本来の意味とは異なった特殊な意味合いを持たせるために使われる(ことが多い、と気づいた。ゆえに、単なる強調に使おうとするとすこし印象がズレる。ので、あまり使わなくなった)けど、""は強調だけで済ませられる(と勝手に思っている)
  • 新刊が出たら絶対買います~、と思っている作家は減った。新規開拓があまりできていないせいで現在進行形で活動中の好きな作家が減っただけだけど。もちろんたくさんいたほうが楽しいし嬉しいのだけど、いまくらいの量が追いやすくはある。追いやすさがそんなに大事かは微妙。
  • よい日記に出会って、すてきだ、って思うことが、いまでもあいかわらずある。最初っからこれが(出会って、おお~すてきだ~と思えること自体が)好きなんだよなとも思う。WEB日記に対しては、ずっと、よいものだなーっ、て思っていて、その"好きな理由"みたいなところの一端がぜんぜん変わらずここにある。
  • うーん、最近、よい日記との出会いがやや減った気がしている。理由はかなり不明で、ほんとうに、なにが変わったんだっけ?と思っている。
  • 日記はどちらかというと丁寧語より常体語のほうが好きだが、理由は不明だ。
  • 自己分析しないと心の中にかかえている「理由」もぼんやりしたままになりがちだ。つまり、自己分析を嫌がると、理由は不明、ってことばばかり吐くことになると思っている。とはいえ、自己分析すればいつだって正しい答えに行き着けるということでもないはずだし、自己分析すること自体が正しいってことでもないし、そういう正しさの話に持っていかなくても、そもそもの「自己分析することの良し悪し」というのはあると思う。ので、自己分析あんまりしない派もいてもよいし、いるはずだろう。結果として、こういうふうに思うけど、こういうふうにしたいけど、理由は不明、ってことばを連発する人格だって、いてよい。 良さもあるはず。
  • 人間関係を定期的にリセットしたくなるタイプと、そうでないタイプ、どちらが真っ当かわからん、とずっと思っている。