世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年08月20日(火)落ちかけた欠落を、蹴躓いた出っ張りを、凹凸を(書かない)

嫌なことがあったかなかったか

嫌なことがあった日は、夜、ふとんの中で、「嫌なこと」ばっかり脳内リピート再生させてしまうようなことをやりがちだ。というのは紋切り型の風景になっちゃうけど、ぼくの場合、実際は、帰路にそうなることが多いかな。頭の働きも落ちる。もったいないし、無駄だから、そんなのしないほうがよいよ、といった意見も見かける。まったく思い返す必要ないでしょ、という助言、元気づけ、世界観の話だ。

思い出してただただ悶々としているだけなら、たしかに、「思い出さなくてよい」は、かなりよい手法だと思う。が、省みておくことで(ある程度、暗い気持ちになるのは避けられないとしても)、改善ができるなら――迷惑をかけたり攻撃したり不興を買ったりせずに済むようになるなら、ぽっかり忘れてしまってよいかは、微妙だ。

まあ、こういうふうに、「嫌なシーンを頭の中で繰り返し再生する」行為と、「反省し、改善策を模索する」行為を、同じ俎上で語ろうとするから(同じ俎上で語れると安易に勘違いするから)、人類はすぐ混乱するんだよ、と言われたら、ぐうの音も出ないけれど。

嫌なことがあった日に、「今日は嫌なことがあった~、くそ~、許さんぞ~」みたいな日記を書くと、多少はスッキリする。しかし、最近、そればっかりになっていたな、と反省した。そういう選択肢を選ぶ癖が、自然についてしまっていた。無意識にそういう言葉選びになっていた。けど、別に求めていない。これじゃ「嫌なことがなかった日」にしか、まともに日記書けなくなっちゃうじゃん、と思って、やめたくなった。