世界は称賛に値する

日記を書きます

1月2日タイピング

キーボード

キーボードを打ちたいから文章を書く(キーボードを打ちたいという目的が先で、そのための手段として文章を書いている)というようなことをときどき言っていたMK2という方がいて、その言葉を折に触れて思い出す。その話を聞いたときに、たしかに打鍵すること自体がかなり楽しい行為だな、と気づいた。数年ぶりに日記を書いたときにもその言葉のことを考えていた。そうそうこういう打鍵行為がめちゃくちゃ楽しかったんだったと考えていた。別にわざわざ比べなくてもよい気もするが、行為として隣接しているので比べてしまうと、スマートフォンのフリック入力に対しては、この点がちょっと物足りないと感じている。物理的な快感に関してちょっと劣る。とはいえフリック入力の習熟の向こう側には別種の楽しさがひそんでいそうな予感も感じていたりはするけれど。

楽しい

楽しいあまりに暇さえあれば文章を書いてしまっていることがある。時折けっこうな時間を費やしてしまっている。最近抱いている目標を踏まえて考えるなら、ただただ文章を書きます楽しいですー、というだけのことに時間を費やしてしまうのはちょっともったいないんじゃないかと思った。というか、これまでずっとそうだったことをいいかげん反省してもよいタイミングなんじゃないの、というツッコミを思った。いろいろやってみたいとすぐ思いつつ(しかも軽々しく思いついて口にしつつ)、それに向けた準備にはたいして時間を費やさず、しかも欲に負けて目先の楽しいことに流れる。そして、目標未達に終わる。そういう選択ミスが多すぎて洒落にならなくなってきてるんじゃないんすかねえ、ということを再認識したのであった。おおまかにツッコむなら「サボリすぎだろ」である。いいかげん反省してよいタイミングでは、とも書いてみたものの、むしろ反省するの遅すぎる、とは思う。でもまあ反省しないよりはよい(と自分で口にするのもあれなのだけど)(反省しないより反省したほうがよいのは、まあそうだ)(反省という行為の内実にもよります)。

節度

あいかわらず続いている油断といいかげんにしたい反省の話だ。そして、書いてみせたところでしっかり直せるかはわからない話である。が、とはいえ年始の抱負としては、あらためてこのあたりを掲げておきたい。費やす時間の選択をしっかり行ないたい。冒頭のように「キーボード打つの楽しいよ~」ってなっていても、その目先の行為に釣られ、溺れないよう、節度を持って動きたい。せっかく日記を再開したのだから、というか、日記を再開したせいで、そうなってしまうのはもったいない(日記を再開したことが害を及ぼすのは哀しいのでそうならないようにしたい)。

目標

勉強が足りない。資格を取るような実利的な試験勉強も、知性に基づいて物事を学び直す学問的な勉強も極めて不足している。読書も好きだけどいまいち記憶に残せていないし……。考えごとも結局は「思い出せる知識の記憶」を部品に組み立てることになるため、記憶に残せていたほうがよい、とは思うようになった。にもかかわらず棚にはぜんぜん知識が増えていないなという感覚だ。具体的に言うならこのあたりをどうにかしたいんだよなー。そして、そのための時間を、日記と称して考えごとを書くのに使ってしまっている。異様に楽しくてそっちにすぐ釣られてしまっている。ここの配分をなんとかしましょうというのが今年の目標である。ずっと思っているけど、こんなふうに(恥ずかしく情けない面だが読んでくれる方にしっかり聞いてもらおう、という気持ちで)書いたことはあんまりなかったかと思う。そう思って書いてみた。ひとつのきっかけというか意識づけにはなりそうだなと思って書いた。

最後

そう書いているこの文章が長い(時間を費やしている)わけだが……。