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日記を書きます

2024年07月06日(土)人事・労務に関する思案

経営資源の項目増えている

経営学の初歩を学んだ最初の頃は、「経営資源についてはこれまで、ヒト・モノ・カネの三つとされてきたが、最近、ここに、四つめの資源として、"情報"を加える潮流が見られるようになってきた」という説明を見かけることが多かった。が、最近はさらにそこに、"時間""知的財産"を加えて六つ、あるいは、"ブランド"まで加えて七つ、として、資源を見る向きがあるようだ。

「時間」なんて最も重要そうなものがいまさら加わるんかいと思わなくもなかったが、いざなみ景気とかいざなぎ景気とか言われる浮かれた経済成長も完全に過去のものとなって、効率面がしっかり満たされていないと「もたない」時節柄になってしまったため、「時間」もまた、限られたものとして気にする必要性が増してきたんだろう。昔が余裕すぎただけとも言える。

人事と労務

経営資源のうち「ヒト」をつかさどるのが人事(人事部・人事職)だ、という説明を基礎的なところで見かけた。妥当な線引きだとは感じる。この「ヒト」の領域にかかわる業務を詳しく区分すると、「人事」「労務」という二つに分けられるようでもあって、二つの根っこについて考えていた。軸としてはどういった違いがあるのか。それぞれの、前提や目的、視点には、どういう差異があるのか。

「ほかのひとたちと一緒に行動する」にかかわるのが、人事で、「(法律に則って)ひとを雇うことにおける諸々」にかかわるのが、労務だ、と、説明を見比べながら、さしあたり理解した。ほどほどにポイントを衝いているとは思う。

この分けかたに基づくと、たとえば、会社・仕事とは関係なく、みんなで集まって一緒に進めるような場面であれば、それがなんであれ、人事部門があってよいというか、「人事」的な攻め手が活かせる形になると思う。実際、知識やスキルが直接流用できるはずだ。対して、「労務」は、みんなで一緒にやるような場面であっても、それが「雇って」のおこないでなければ、たぶん、出番はない。労務的要素にかかわる考えかたを応用して、よい手法を探すはもちろん可能だろうが、労務そのものが活かせるわけではない。あくまで労務は、会社・仕事という「雇用」にかかわる範囲内の話になるはずである。

ひとが集まればそれだけで「人事」は発生する。そして、ひとを(法律のもと)雇おうとするなら「労務」も発生する。というふうに、構造を眺めたとき、人事が労務を包括する、と考えるかどうかは、微妙だ。会社・仕事しか視野に入っていないなら、そう感じてもおかしくはない。が、サークルとか非営利団体とかイベントとか、そういったものまで視野に入れると、別件、と見ることも可能になる。人事・労務というものの位置づけが整理しづらい(混乱が見られる・ひとによって言うことが違う)のはこのへんのせいかなと考えた。

基盤の社会性の濃淡

法律がなくても「人事」は発生するが、法律がないと「労務」は発生しない、ととらえるなら、人類史的に、そもそも、ひとが集まっているだけで(社会というものが成立する手前の段階で)「人事」の出番はあって、逆に、社会制度のようなものが定められていく流れのもとで、「労務」は生まれ、成長してきた、というふうに見なすことも可能だろう。労務は社会性が濃いが、人事は社会性が薄め、という解釈だ。