騙されません
「騙されない」「見抜いてやるし、見抜けるはずだ」とでもいうような、楽天的なノリで生きているところは、正直ある。ただ、ものすごく真っ当に「善人」を演じられたら、たぶん見抜けないんだろう。実際、誠実そう、真剣そう、と大雑把に判別したうえで、いらんところまで安心しきっている感はときどき見て取れる。荷物置きっぱなしだけどあのひといればだいじょうぶでしょ、とか、油断して、放置する、みたいな。
というか、悪意や騙そうとする意志はどこかで漏れ出るものである、と、あまりに都合よくとらえすぎているところがあると思う。それらを隠しきってほくそ笑む強さを、みじんも想定できていない。なんとなく笑顔が胡散くさかったので警戒できた、とか、世の中そんな案件ばっかりじゃないんだぞ、って感じである。
信頼できそうな空気感
作家や動画配信者にしても、誠実そうな空気が出ているひとを、わかやすく好きになっている。「人や物事をかんたんに軽んじたり侮ったりしない」「柔軟性と愛がある」「世界平和が根っこにありそう」くらいの(信頼できるかとは別の)意味合いでとらえているつもりだけど、おそらく、思いのほか混同しているというか、同一視している。そういったひとに対する信頼性を余計に高く見積もりすぎているきらいがある。言動や表情だけで安心しきっている感じというかな~。逆に、 とりあえず、言葉尻だけでも、あざけりのことばの使用率が高かったり、知ろうともせず切って捨てる姿が常態化していたりすると、カンタンに距離をおきがちだ。
ビジネス界隈にも誠実なひとはそりゃいるだろうが
思考法や手法を文章や動画で広める(売る)にしても、空虚をそれっぽく見せかけて売り抜ける、薄味にしたり断片にしたりして切り売りする、このやりかたが広まることでよくなるものがあるはずだと期待してそれのコピーが広まることを夢見て売っていく、と、ひとによって活動の背景に濃淡や混合はあって、これらを見極めるのも難しい。
そして、このあたりに関しても、信頼できそうだと(少なくとも信頼できないような悪意は見出せない気がすると)、軽々しく憶断しがちなところがあると思う。平和で幸せな世界だと期待したがりな気質もあるかと思える。気は引き締めたい。すぐ楽観しちゃうのは単にラクをしたがっているだけ、って気もするしな~。ラクをしたいからといって、印象論のみのチェックで通行許可をあたえるのは、控えたほうがよい。