目標とスピード
提示した今年度の業務目標がいくつかある。五個くらいかな。進み具合を確認し、今後についての道のりとギャップと対策を伝えるタイミングだった。進捗がよいとは言いがたい。迅速さには欠けている。もうちょっと素早く進めることだって可能だったんじゃないの、と指摘されかねない範囲だと感じている。実際、まわりの目や失敗を気にせず、素直に進めることができていれば、もう少し動きが速くなってはいただろう。それができなかっただけの理由はあった。というか軋轢はあった。が、同時に、熱意の弱さもまたなくはなかった。主要因を切り分けて提示するのは難しい。
身近な人間による威圧的・冷笑的な所作によって、スピードが落ちてしまった、というところはたぶんある。気落ちして動きが鈍るシーンはあった。突然そういった状況が訪れても余分なダメージを「喰ら」わずに済むよう、先んじて防御姿勢を取っていることもあって、その予備動作によっても、遅くなっていたと思う。というようなところが、言い逃れめいた説明にはなるかな。
変なところでちょこちょこと円滑さが失われていた。そんなもん無視して動きなよ、あるいは、それくらいのことは踏まえたうえで対処しとけばいいじゃん、と言われたら、反論はしづらい。が、限界もある。嫌なものは嫌だ、と言うしかない線引きはある。びくびくするような精神を常に抑えられるわけでもない。妄想的なところから発生していたブレーキは、たしかに、無駄だと言いたくもなるため、もう少し、頻度を減らしたいところではあるんだけど。でも、静電気を毎回びりびりと喰らっていたら、ドアノブに触るときにどうしたって警戒するようになるわけで、この(妄想混じりともいえる)警戒心をなくすことが可能なのか、って考えたら、無理そうではある。
ただし、だいぶ目を逸らせるようにはなった。見ないようにする動きが習慣づいてきた。視界に入らないようにしておけば、あんまり気にせずに済む、といったところは(試してみたら)たしかにあった。学んだ。
精神はファクトベースで
威圧的・冷笑的な態度を取られるのが、極めて「嫌」なのは間違いないが、しかし、起こっていないうちから気に懸ける必要は本来はないんだろう。というか、積極的に、気に懸けないほうがよいんだとは思う。ほんとうに直面したときにだけ、そこにある感覚や感情を受け止めればよいのであって、起こっていないうちから気に病むなんて、もってのほかだ。「起こっていないこと」と「気に病む」の組み合わせは、ほんとうによくない。気持ちの動きがファクトベースになっていない構造ってあやうい。極力避けたほうがよいみたいである。
このあたりの考えかたも、まあまあ身についてきたかな。「事実を土台にする」のと「目を逸らす」アクションは、意外と相性もよかった。ひとの挙動が目の端に入ってきたときに、余計な心理まで読み取ろうとする癖があったためだ。目を逸らすことによって、情報量が減り、事実の認識まで減ってしまいそうにも思えたが、むしろ、目を逸らすことで「妄想」が削ぎ落とされることになって、事実の純度が増した。そんなふうに改善はできてきている。このままスピードも上げていけたらと思う。