図書館
お昼休みになったとき、空腹じゃなければ、たまに図書館に足を運ぶ。職場からそう遠くないところにひとつあって、初めて見つけたときは、嬉しかった。足しげく通いたいくらいだ。そういえば、すこし前に友人と雑談したとき、そのひとも昼休みに図書館に行く話をしていたのだけど、「そうそう、最近ぼくも似たようなことしてるんですよー」といった相槌を打つのを忘れてしまった(ことに、いま気づいた)。別にかならず伝えなければならないわけでもないが、せっかく同じ要素があったなら、せめて話の種にはしておきたい。同じ体験を持ち寄って視線をシンクロさせられる局面って意外と貴重だ。響き合いのようなものによって顕現させられる幸福感も好きである。
段落をあらためた。なんとなくひと区切りついたんじゃないか、と感じたため、段落を変えてみたわけだけど、ひと区切りってなんなん?とも思わなくはない。オチがついたとかキリがよいとか、人は簡単に言ったりするが、定義や条件は謎である。おそらく、起承転結や序破急、またはPREP法やSDS法みたいな、人間の処理能力にもとづく"意味のうねり"にしたがって、なんとなく快適っぽいところで区切っているだけ、なんだとは思っている。処理能力の隙間で、「ここまでがひとかたまりだぞ」と、都合よく見なしているんだと思う。ときには、なんでそれに服従しなくちゃいけないんだ、とも思わなくはない。
あと、肺活量的なイメージで、どこまで一息に話せるか、といった身体的な線引きで、区切りを見出していそうな印象もあった。ほんとうに、あくまでイメージ上の話にはなってしまうが、じぶんが切り分けた「ひとだんらく」を眺めていると、これってたぶん、じぶんが「ひといき」で話しきってみせたい分量だよな~、とは思うところがあった。
大量の本を前にして
図書館の話がぜんぜん進まなくておもしろいな。いつものことだが。そして、図書館の話にもどしたところでたいした話はできそうにもないが。
図書館の書架にならんだ大量の本を眺めながら、不快を感じたことって、まったくないな、とは思ったりした。正直いつだって楽しい。巨大書店も同じである。無数の書物の前にして、不幸っぽい出来事や世界を感得したことなんて、ほぼない人生経験だった。だから、こんなもん、好循環にしかなりようがなく、本好きにも、ならざるを得なかったんだと思う。稀に見かける「どんなときでも目の前の文字を読んでいたい」ほどの者にはなれなかったものの(じゃっかんの憧れはあった)、とはいえ、一文、二文、と、多少であっても文章が読めれば、自然と、気の落ち着くところはあった。そんな感じだ。
笑顔
なんとなくニコニコした空気の中で書かれた文章にはなった。思わず笑顔がこぼれるやつであった。こんなふうに、朗らかな気持ちのもとで文章を書き終えられたときに、「物足りなかった」とか「つたなかった」とか思っている余裕なんて、ほとんどなく、たいていは嬉々としている。だったらそんなんばっかり書いてればいいんじゃないの、とも思わなくはないが、しかしそれも難しい。独自のテンションが要される。狙ってできるものではない。