世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年04月13日(土)思い出の光景の中に入ってもらう

漢語

文章術や指南書で「漢語よりやまとことば(和語)を使ったほうがよい」といった教えを見かけることは多い。意識的にそうしたほうがよいと言われるだけの利点もわかるようにはなった。「利点」という漢字二文字が置かれているよりは、「よいところ」や「よさ」と書かれていたほうが、すっと頭に入ってくるし、「接戦」よりは「ぎりぎりの戦い」のほうがわかりやすく、「痛苦」よりは「痛みと苦しみ」のほうがわかりやすい。もちろん日常での馴染み具合によっても変わってはくるんだろうが、統計的にいえば、やまとことばのスルスル具合は間違いないところだろう。わかりやすい、というか、つかみやすい。やまとことばのほうが、やわらかくて、目にとまる。上滑りしない。

とはいえ、漢語の、というか漢字の、格好よさが、好きだ。熟語が見せてくれる発想の鋭さも好きである。綺麗だなとも思う。新しい熟語を知るのもシンプルに好きである。あと、熟語の漢字の上下を入れ替えてみせるみたいな遊びかたが、そもそもだいぶ好きかな。

展墓

ひさしぶりに墓参りに訪れた土曜日だった。墓参りにもなにかしら格好のよい漢語的な言い回しがあるんじゃないかな~、と思って調べてみた。結果、「墓参する」「展墓」にはたどりついた。むしろそれくらいしかなかった。残念だった。墓や寺や死の周辺には歴史的・儀礼的な言い回しがたくさん転がっていそうで期待したのだけど。

お墓のまわりではお子さまがなかなかに傍若無人な振る舞いを見せていて、非常に大変ではあった。ぼくにとっての「親戚の集まり」は、お墓参りの記憶ばっかりなところがあって、思い出の下地になっているその空間にお子さまを連れていけたのは、ちょっとだけ嬉しかった。つかれたはつかれた。