世界は称賛に値する

日記を書きます

慣用句の木曜日 6/22

紋切り型は思考停止の裏側

文章を趣味にしていると「紋切り型の文章はよくない」と言われるようになっていく印象だ(そしてそれが身体に馴染んできたため自分も言いがちだ)。思考停止はよくないよ、というのが、その言葉の示すところなのだとは思っている。よくないというか、ことばにはどうしても「定型的」「形式的」「共通認識」「みんなで使う」に基づくところがあるため、気にしていないとどうしてもそちらに流されやすくなる(結果として、それが思考停止に繋がっていく)。けれどぼくらの人生や生活は、細かく見ればぜんぜん違うし、ぜんぶ違う、そういった"私"に固有の経験から「差異」を見つけだしていくことがおもしろさのひとつなのに、"紋切り"に寄りかかって思考停止してしまうと、そういうところがぜんぶすり潰されていくよ~、なので、ことばのそういうところには普段から警戒しておきましょう~、という指針なのだと思っている。

紋切り型の繋がり

紋切り型の言い回しもよくないけど、紋切り型の論理(AだからBだよね、という話の繋がりが、どれもこれも、どこかで聞いたことありそうなやつ、みんなが言っていそうなやつ、で構成されている状態)も、かなりよくなさそうだな~、って思った。断言形式になっていたらなおさらダメそう(推量のことばとか、"と思う"とかが付いていたほうが、まだマシそう→検討のための余白をまだ置いてくれていそうなため)。しかもそこに、価値判断がくっついていたら、なおのことダメそうだ(社会通念がそのまま取り込まれた「Aってよいよね~」という論理くらいこわいものってないよねとか思ってしまう)

なぜという問いを向けた文章を読ませてくれ

社会通念そのままっぽい論理が、断言形式で、なんの疑いもなく、衒いもなく、素直かつフツーに書かれている(しかもそれが、時に、自己否定や自虐に使われている)文章を見たときに、苦手な文章~、って思いがちなのかもしれない、って今回気がついた。前に読んだことのある苦手な文章を見返していて思った。誰かに教えられた理屈だけでマイナス印象を積み重ねていくのってよくないよ(雑)と思ってしまう。

厳密に言うと、こういうのって、あくまで"そう見えているだけ"で、内実しっかり考えてくれているのかもしれないけれど、でも、「理由」をちゃんと書いてくれないと、社会通念そのままっぽく見えてしまうのだよな。というわけで。ぼくの抱いている要望は、そう思う理由を書いてくれ~、"なぜ"という気持ちを一度は向けたことがわかるような文章を書いてくれ~、というだけのことなのかもしれない。