世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年03月20日(水)理解を引き締めたいらしい水曜日

複雑な状況に添えられる慣用句

けっこう複雑な状況であっても、それを一言で言い表してくれる適切な「比喩」「慣用句」が見つかることはあって、そういう言い回しをうまいこと添えることで、理解の難度が下がるというか、わかりやすさの空気がキュッと引き締まってくれることがある。格段にイメージしやすくなるシーンがある。いわゆる「語彙力がどれくらい必要なのか」問題って、きっちりした答えを出せない問題だとは思うのだけど、こういう「添え物」としての効果を考えたなら、語彙力なんてあるだけあったほうがよいじゃん、って言いたくなったりはする。決して無駄にはならないというか。語彙力があればなんとかなるとは思わないけれど、語彙力が強烈に活かされる瞬間はきっとある。

春分の日

春分の日。祝日だった。春分の日と秋分の日は、なんというか、具体的な定義・意味を持っていて、好きな祝日だ。こういう具体的な意味を持つ日が、必ずしも祝日とは限らないのが、なんとも言えないところではあるのだけど。

午前中は最寄りのコンビニまで散歩した。午後になって、でんしゃガタゴトという絵本と、お子さまのおべんとう箱の、ふたつを新たに導入した。おべんとうはなんとなくひらがなで書きたくなったし、丁寧語の「お」を付けたくなった。さすがに可愛らしくて「弁当箱」はそぐわない空気だった。ひらがなのほうが可愛くて柔らかいみたいな認識は、妥当な判断か謎なのだけど、気分や雰囲気がそんなふうに見た目などに「引きずられる」ありかたというのも、別に嫌いじゃない。いや、嫌っているというか警戒しているときは間違いなくあるのだけど、ともあれ、活かしたり遊んだりしているときは、楽しい。