世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年03月04日(月)一段上も一緒に見たい月曜日

一段上へ

たとえば「一段上の目的意識を持ちましょう」といった指針を見聞きすることがある。が、実際にそうしてみたときに、もし、もともとの(一段下の)目的意識を見失ってしまうのだとしたら、意味ないじゃん、とは、まあ思う。この指針が示すところは、上位に目を向けよう、ってことだけじゃなくて、つまり、「視野を拡げたほうがよい」ということだと思うからだ。一段上と一段下、ふたつの目線を並立させましょう、という話なんだと思う。とするならば、ひとつ得たけれどひとつは無くしました、だったら無意味じゃん、ってことになる気はしている。

というのとは別の話として(あるいは、その裏側、または、より突きつめた話、として)。

下位の場に立っているあいだに、しっかりと細部まで認識し、理解し、そのうえで、上位の場に立って、視野を拡げていく、というステップを踏むことによって、より精緻で堅固な土台を築くことができる――極めて安定した上位構造を構築することができる、という話でもあるのだと思っている。「一段上の目的意識を持ちましょう」という指針の狙いは、単なる視野の拡大ばかりでなく、下位→上位という段階を追うことで得られる、よりよい(精緻で堅固な)まなざしにもあるのだろう。

逆にいえば、下位の(たとえば現場の)ことをまるで知らないまま、上位に(たとえば管理者に)いきなり降臨したとしても、その基礎部は、結局、スカスカな張りぼてのようになってしまうのだ、というふうに理解している。

そればかり見ていたい

散策中、胸中をぼんやりと振り返っていて、この、「新しい位階に目を向けたときに、新たな領域に気がついたときに、過去のものを忘れようとする(見ないようにしようとしてしまう)」癖があるな、と気づいた。「客観性が好きだ」「複数の側面をとらえたい」とか言いながら、新しい側面や俯瞰した理解に出会ってしまうと、なぜか、そちらばっかり見ていたい、と勝手なことを思っている。胸中がそんな衝動に支配されている。上位空間に視線が移ったなら上位空間ばっかり見ていたい。その夢中さを(自分でも)邪魔したくない。これまで自覚のなかった精神性だった。新たな領域を見つけたいだけで並立させたいわけじゃないんだろう。いちおう「目移りしやすい」という癖には気づいていたのだけど、それと同根のやつだな、とは思った。