世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年02月28日(水)今後の壁を聞いた日

静謐な指南

上司から部下に向けた認識をヒアリングする機会があった。進捗、評価、課題などを聞いた形かな。なかなか充実した話を聞けたと思う。内容もよかったが、むしろ、話しかた、話しぶり、言葉選びによさを感じた。丁寧な話の組み立てかたがよいと感じながらその場では聞いていたのだけど、突きつめると、構造や例をじっくり考えながら話す静謐な姿勢や空気に価値を感じていた気もする。「間」の大切さをあらためて実感させられる場だった。

内容も飛び抜けて珍しいものではなかった。少なくとも初めて聞く話ではなかった。言ってみれば、上位目線を持つとよい的な切り口ではあった。問題を理解する、新たなことを学ぶ、立場を確立する、といった今後ぶつかっていくであろうさまざまな課題において、所与のコンテキストにべったりひっついたまま、"目の前の作業をただ眺める"のではなく、どこかのタイミングで、ひとつ上にある、目的の異なるレイヤーに気がつく。気がつく必要が出てくる。少なくとも、気がつくかどうかで、効果やスピードが大きく変わってくる、といった話だった。

気がつける

そんな「気がつける」機会を逃してはならないし、むしろみずからそういった機会を求めて日々動いたほうがよいし、そもそも、「気がつける」機会がそばにやってきてくれたときに、ほんとうにそれをつかめるかどうかは、それまでの努力によって変わる。つまり、いつだって準備完了しているかによる。さらに言うなら、人生において「準備完了」の瞬間なんて実は永遠に訪れないので、だからたとえ準備時間が足りないとしても、その場その場でしっかり"準備完了""覚悟完了"かのように振る舞える胆力と努力が必要になってくる、という話なんだろうとも自分なりに理解した。

ものごとを俯瞰して見る。概観や全体像をうまく掴む。一段上の目的と論理を想定できるようにする。それでいて、基礎に対しての精緻な理解を忘れないよう注意する。乱雑・乱暴になっていかないようバランスを取り続ける。そんな手合いの話ではあって、骨格だけ見れば、聞いたことのある指南ではあった。が、それが、ゆっくり、丁寧に、静かな声色で、身近な例を添えながら語られると、あらためて身につまされる話だった。直接ぼくに向けたものでなくても、あらためて蒙を啓かれる気持ちにはなった。