早退しづらかった
お子さまに引き続き高熱が見られたため昨日に続いて早退しようと試みたが、トラブルじみた対応案件があって長引いた。変な茶々を入れられたせいもある。困惑はした。ほどほどにいらだったが、まあしょうがないところなのかな。別に問題を放り投げたかったわけでもないし。業務と病状の緊急度にももちろんよるけれど。今回の押しつけられた優先順位は妥当ったんか?とは正直思わなくはないが。うーん、とは思いながら動いた。
お子さまの不調の原因は、当初、予防接種の副反応ではないかと想定していたのだけど、不明っぽくなってきた。診断結果を聞く限りだと副反応ではないようだ。とはいえ菌やウイルスにかかわる具体的な病名もないようで、とりあえず「不明」な結果となった。症状は高熱だけ。振る舞いは意外と元気だ。食欲がなさそうなのだけ困っている。いわゆる疲れによるものなんだろうか。いずれにせよ元気になるのを待つしかない。ほかに症状がないのは安心といえば安心だが不安といえば不安。行動的にも思索的にもばたついたのは間違いなくて、あんまり丁寧な思考ができなかった。日記も書けないなと思った。今日はこれにて閉店としたい。
丁寧な思考ができない日
記述しながら、「丁寧な思考ができない」=「日記が書けない」とイコールであっさり結びつけていく意識の流れに気づいて、なるほどねとあらためて思った。別に「丁寧な思考」じゃなくても「日記」にはなるはずである。つまり、丁寧な思考が描かれていないやつは「日記」に値しない、とか感じているんだろう。こだわりであり偏見だが、自分事ながらまあまあおもしろいところかな。行動描写じゃなく思考描写に偏るわけだわとあらためて思わされた。思考描写が好きならしょうがない。
好きな行動の恍惚中毒
ただ、この手の「好きな切り口」に覚える恍惚に対して視野狭窄になりすぎていて頭も固くなっている、というところが最近は気になる。というか最近気づいた。「好きさ」に溺れないようにという注意事項はつくれていたけど、好きなものに接するときの恍惚に警戒できていたかというと、あやしい。ここにある無自覚な中毒性に気づいた感じである。せっかく視野に入ってきてくれたので、改善に挑んでみてもよいのでは、とは考えた。