世界は称賛に値する

日記を書きます

20230830 総量の話

不意

書いているときに不意に出てきた言葉に驚きたい欲がけっこう強い。感覚や感情を丁寧に描き出そうとしているとそういうものに出くわしやすい。逆に、「出来事の記録」や「作品の紹介」に関する文章では出会いづらい。具体的な領域の中をうろうろしているだけではなかなかエンカウントできないんだと思う。ぐねぐねした不定形のものをつかもうと躍起になっているときにこそ出会える印象だ。

出来事の話や、作品の話は、まずは具体的な領域内で"ことば選び"を始める。むしろ具体的な情報をしっかり伝えることが第一くらいの認識だ。だからこそ、それだけで終わってしまう。たくさん言葉を費やせば、あるいは、意識してルート選びをすれば、抽象的な領域にも踏み込めるんだとは思うけれど、傾向としてはやはりそうはならない。驚けない。満足しない。つまらない。

日記を書いているとき、気をつけていないとすぐにどんどん頭の中にもぐっていってしまうし、結局はそれをいちばん楽しんでいたりする、という傾向が見られたため、なんか、まあ、前述したような動機が働いているんだろうな、って思ったりした。

たまーに、出来事記録や作品紹介のときに、想像を超えた、ヘンテコな、抽象画が描けたりする。驚きうる記録文や感想文が書けたりする(記録や感想としてよいものかは別判定だが)。そういうときにけっこうな満足感を覚えているぞということもあわせて考えた。

些細だけど数多い

日記になにを書き残すか。たとえば今日は子を保育園に送った。保育園ではマスクをつけるようにしている。そして、送ったあとには人通りの少ない道のりで駅に向かう。この道程ではマスクを外すか迷う。猛暑も迎えてからは外すことも増えた。ただ、逡巡はある。思考時間がわずかに挟まる。出来事としては些細で(解釈次第だが)、これまで日記に取り上げようと思ったこともない事象だった。けど、改めて見つめてみれば、この逡巡は、かなり定期的に発生している。ぱっと見は些細だが合計したらきっと影響度はとても大きい。

こういう瞬間的には目立たないけれどトータルで見たら大きな物事にも、スポットライトを当ててみてよいんじゃないか、と、今回あらためて思った。いや、ほんとうに些細なこと(ただ今日だけ起こったなんでもないこと)だってもちろん書いてよいのだけど。まあなんというか、些細っぽい現象・行動に滑らかにフォーカスを移してサラサラっと描写する文に出くわして、わ〜、いいな〜、と思わされたので、認識を新たにした次第だった。比較的どうでもよさそうなことを軽やかに書いてみせる手腕、そして独特の味わいがあるなと感じた。