世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年02月05日(月)ちらほら雪の降った日

雪が降った

途中から雪の降り始めた月曜日だった。曜日とか季節とか祝日とか、なんであれ、"人生の流れ"を区切ろうとしてくるものに妙な因縁をつける習性がぼくにはあるが、「途中」もなかなかツッコみたくなるやつだ。とはいえ、日記を書くなら、どうしたって、どこかからどこかまでの一定区間を区切って描くしかない。だとするなら、日記の中でそういった"区切り"に喧嘩を売るムーブって、なんというか、マッチポンプや自家中毒が過ぎるんじゃないか、とも言えるとは思った。根底にある定義やそもそもの起点にケチをつけて文章量を稼ぐような空虚さや無意味さが、どうしたって見え隠れする。

まあでもよい。別に"区切り"たいわけじゃないんだよな、とはあらためて考えた。区切っても区切らなくてもよいのだけど、知らぬ間に区切ることを強制されているのは流石にちょっと嫌、というか。

わかる・分ける

「わかる」というのは「分かる」「分ける」であり、区切っていくこと、線引きしていくこと、分断していくことだ、ということは学習した。人間の認知・理解において「切断」から逃れることはほぼ不可能に近い。だからこそ、切り取ること、切り取る範囲、切り取るおこないには、自覚的でありたいというか、好き勝手に喧嘩をふっかけるくらいの許容の幅は、持っていてよいかなと思う。たとえ逃げ切れなくても、逃げようとしてはしゃいだりいちゃついたりするくらいのノリはあってもよい。ケチつけて遊んでるだけじゃんと言われたら否定できないけどそれくらいでもよいし。