世界は称賛に値する

日記を書きます

忘却率の水曜日 6/28

ある程度は忘れる(忘れてもよい割合)

よい学び、よい気づきも、結局はけっこう忘れていく。どんどん手のひらからこぼれ落ちていく。一週間前に日記に書こうと思っていた「あ、これおもしろいな」という切り口をもう憶えていない。もったいないとは感じる。忘れずにいられたらもっと幸福や利益が得られていたんだろうかと夢想したりもする。逆に、どのくらいまでなら忘れても幸福や利益を毀損せずにいられるんだろうかとも考える。誰も彼もがすべてのことを憶えているわけでもないのだから、ある程度のよい塩梅、許される忘却率や毀損率、というものがあるんじゃないか、とは考えてみたりもするけれど、そもそも、学びや気づきがそういった幸福や利益を変えうるものなのかどうかも謎である。ただまあ、変わらないわけないでしょ、とはいちおう思う。学んで、気づいて、世界を変えていくことが幸福や利益に繋がらないわけないじゃんとは思う。

さっき、ちょっと思いついて、ああこれはよい着想だな、と思ったことがあるし、いまこうして書いていて、なるほどこんなふうなんだ、と気づけた構造もある。それらをたぶんまた明日か明後日には忘れてしまうわけだけど、その忘却の分、どこかで損したりする、のかな~。損しうるくらいのほうがよいよねとは思わなくもない。学びや気づきにそれくらいの効果や価値はあってくれてよい、とは感じる。もちろんそれだけ忘却が怖くなってしまうのだけど。その忘却にどれくらい抗えるかわからないことがなおさら怖さを増してはくるけれど。