世界は称賛に値する

日記を書きます

小説家の話を見かけた4/22土

小説家・入江君人の新刊

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まとめると、スランプとは「認知の歪みによって問題箇所がわからなくなること」です。

ここで、現在スランプで苦しんでいてこの文章を読んでいる方に、くれぐれも勘違いしてほしくないのが「そうか「ド」の音が出ないから書けないのか」と思わないでください。

一般化できるのはあくまで「認知の歪み」の部分だけで、実際の問題箇所(ドじゃなくてファが出ないのかもしれない)は人それぞれです。

ですので、万能な解決方法というのはなかなか難しいのですが、しいて言うなら「始まりに戻る」のが肝要かと思います。

あなたが最初に創作を初めた場所、気持ち、そこに戻って、もう一度「遊び」から初めてみましょう。

そのクラリネットだって、決して最初から持っていたものではなく、あくまで自分が削り出したものだと思い出してください。

そしてその美醜を、他人の評価に委ねないでください。

我々創作者はそれぞれが異形の楽器を削り出し、美意識のもとに奏でる鳥です。

その音が醜かったとして、あなたが気に入ったなら正しく。その音が美しかったとして、あなたが気に入らなかったら正しくないのですから。

だからどうかあなたも、自分の楽器を大切にして、でも囚われることなく、正しくとりこになってください。

そして縁があれば、どこかで私に聞かせてください。

『神様がいない日曜日』が極めて好きな小説だったので、作家・入江君人氏の新刊はいつだって待ち遠しく思っていたのだけど、最近はぜんぜん動きがないなとも思っていた。そんな待ち人来たらずな状況の中、ちょうど「八年ぶりにスランプを脱してまた書けるようになった小説家」の記事を見かけて、素直に喜んだ。復帰されると聞いてほんとうに嬉しかった。復帰後第一作となる『蜘蛛と制服』は即座に買った。WEB上で『アーレン古物商店の幽霊殺し』・『小笠原第三魔導教導小隊の帰還』といった作品が販売されていることを知らなかったのは悔やんだ。

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蜘蛛と制服 表紙

新刊が出ていない小説家

入江君人氏が、記事の中で、スランプで小説が書けなくなったあとはゲームなどのシナリオや脚本を書いていた、といったことを話されていて、なるほど、見かけなくなった作家の中には、やはり、そういった"異なる領域"での活動を続けているひともいるんだな、と理解した。

図抜けておもしろい小説を書いていた作家が姿を消すことなんてざらである。続刊も新刊もさっぱり出なくなることがある(特にライトノベル関連ではありがちである)。そんなときに、もう物語にかかわること自体から離れてしまったんだろうか、あるいは、もしかしてどこか異なる領域で物語にはかかわり続けているんだろうか、と考えてみることはあった。気になることがあったので、今回、やっぱりそういうパターンもあるんだな~、と学んだのだった。

どこかで物語にかかわり続けてくれているのであれば、いつかまた、あの物語の続きを書いてくれるかもしれない、とまでは言わないにせよ、新たな物語を読ませてくれたりはするかもしれない、って思えたりする。非常に勝手なものかもしれないがそんな期待は持ってしまうし、さらに言えば、そんな"いつか読める新作"の中で、不意打ち的に、過去のキャラクターや設定を活かしてくれたりすることだってあるかもしれない、なんて期待も抱けたりする。そんな驚きの展開だって見かけたことはあるのだ。たとえ儚いものでもそれくらいの希望が残されていたら嬉しい。ので、どちらかというと「どこかで物語にかかわり続けていてくれたらよいな~」派ではある。例えばうえお久光氏あたりには強くそう思っている。

物語とまったく関係のない仕事に就かれて、しっかり働かれているパターン(時にはそれでしっかり充足されているパターン)も当然あるだろうから、まあ、それはそれでとしか言いようがないのだけれど。

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