淡々と平凡
エッセイに、斜に構えた意地悪な目線が一定必要なのはなんとなくわかるけど、それにしたって、ひねくれと、そして、オチのための弁明みたいな自虐ばっかり目立つんじゃないか、みたいなことを思う機会があって、あらためて自分の好きなエッセイのたぐいを見直していたら、淡々とした筆致が多かった。しずかでやわらかく、でも、なんとなくシビアな感じ。
とはいえ、ほんとうになんでもなさそうな、ありきたりで陳腐なことばもまた、「淡々としたもの」には見えそうな印象があるから、どこで線を引けるんだろう、とも考えてみたくはなった。しょーもないごくごくフツーの見解と、淡々としているがなんだかいい感じの見解の、差異は、まあ(後者が好きなぶん、なおさら)気になる。魂が(感情が)こもっていると感じられるかみたいな主観的で恣意的なところもたぶんあったりはするんだろうけど。
ぼくの認知にとって聞き飽きた(馴染みすぎた)意見か、新鮮な見解か、っていうところで、ぼくなりに腑分けしてしまっているところは、まあそりゃあるんだろうな、とは思いつつ。