世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年7月20日(日)検索したことをメモしておく

検索メモ

見かけることはたくさんあったけど、なんとなくスルーしてきてしまったな、っていうような概念や理屈がたくさんある。ふと気になって、調べてみることも少なくない。明確に知識が増える瞬間だ。楽しい。その記録を残しておいて、一覧化するのも、おもしろいかも、と思った。検索ログだ。検索ぜんぶじゃなくてもよいけれど、辞書を引くみたいにして使った検索内容は、並んで残っていたら、きっと楽しい。直近だと、タコハイとタコライスとタコってたぶんぜんぶ同じ「タコ」じゃないよね?、って不思議に思った検索があった。「フロントマター」も聞いたことがある程度だったので検索した。限られた場でよく使われることばを知っていくことにも素敵さを感じる。人類ってこういうところに名前を付けるんだな~、っていうのが見えてくるのも楽しい。


情報量

情報量が多いのって基本的にはよいことだと感じる。たくさん語ってほしい。いろいろ側面や要素にフォーカスしてくれたほうが、事物が立体的に見えてきてわかりやすくなるし、結論や結果がたくさん並んでくれたほうが最終的な(平均的な)おもしろさだって安定してくれるんじゃないかと思う。けれど、鋭い針の一指しみたいな、明敏なひとこともまた、素敵だし、その姿勢を維持しておかないと届かないことばがある気もする。

物事に対する感想文も、どちらかというと、ダラダラと説明せねばならぬ(「ダラダラ」は言葉選びがよくないけど、まあ、あえて)と考えてしまうことが多く、よくいえば、できるだけたくさん、言葉を尽くそうとしてしまうことが多い。思いついたことをぜんぶ書き残しておきたがる感じ。けれど、シュッと端的に残したほうがよい見解や見識だって当然あるはずだろう。研ぎ澄まそうとしたからこそ手が届くところ(研ぎ澄まそうとしなければ手が届かなかったところ)も、ときどきはあるように思える。

情報量を多くしよう、丁寧に描き出そう、ゆっくり(ダラダラ)やっていきましょう、みたいなスタンスを無意識に取り続けた結果、余計な時間を費やし、認知リソースや思考力を無駄遣いして、せっかくの「クレバーでシャープな見解」を、見失ったり、捨て去ったりしていることが、きっとあるんだろう、と思った。気づかず闇に葬っていそう。それはいやかなあ。