世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年05月17日(金)ジョークっぽいマジトークの存在意義

同じ話

同じ話が何回出てきても別にいいじゃん、とは思っている。まったく同じ理路・側面のまま、なんの面白味も加えずに語られたら、さすがに飽きずに済むか自信はないのだけど、異なる話題の構成要素として、ちょくちょく、同じ話題が差し出されてくる、っていう状態は、むしろ好みだ。嬉々とした雰囲気で語ってくれるなら、おんなじ題材であっても、けっこう楽しく聞けるもんだよね、っていう切り口でもよい。いずれにせよ好ましい。

「さいきん読んだこの作品、前も話したんだけど、ほんとうにすごくてさ~、ここがとってもいいんだよね~」とかなんとか、ぜんぜん違う話をしていたはずなのに、興奮のあまり、また同じことを熱弁してしまった、話が同じほうに収束していってしまった、みたいな事態も、悪くない。話題が変わり、文脈が変わったことで、語る角度もちょっと変わる、みたいなノリなら、むしろ嬉しい。

自分の文章

功罪あるんだろうなと思うところはあるものの、ぼくの場合、自分自身が書く文章、だいぶ好きだ。自分にとって好ましい言葉を内側から放てている認識である。こういうのも、まあ、特質や個性、って呼べたりするのかなとは思った。ビジネス文脈でいうなら競争優位性というか。無意識にやってしまう行動。努力せずにできる努力。ほんとうに優位かどうかは不明だけど。努力といえるかも謎だけど。とはいえ、活かせる環境、組み合わせは、ありそうだとも思える。よい働きをさせられる舞台が見つけられるかどうかで、あつかいが変わる気はする。

ジョークなのか

ジョークなのか、本気なのか、ジョークに見せかけた鎌をかけるための実質マジトークなのか、ほんとうに区別がつかん、というところがあって、ずっと困惑させられている。昨今の職場の問題、ないしは、上司のトークの機微の話かな。この種の困惑の話は、同じ職場のひとからも聞いたことがあるので、昔からの文化ではあるらしい。今日もそういった事例があった。不快~、まあ記録しておくか~、と思い立った。業務中にやられるのはほんとうに困る。職場や業務の温度感もわからない初期のうちから連発されたのも多くの混乱を呼んだ。落ちとなるネタばらしがないのもだいぶひどい。というかそこがポイントな気もする。最後に思惑を明かしてくれるなら、いずれ、空気が読めるようにもなっていくことはあるだろう。理解の精度を上げていけると思う。が、投げっぱなしじゃ厳しい。判断基準に昇華させていくのが難しい。そして、まあ、投げっぱなしのことのほうが多い。結果、身になっていない状態である。馴染むことなく、困惑させられ続けている。

なかでも、「そこで厳しく言ってやったんか?」というフリは、本気の場合も、ジョークの場合も、あって、困る。極端なくらい厳格に叱責してやれ、っていう指示と、そこまで厳しく言わなくてもよいよ、っていう指示の、両極のあいだで(おそらく気分というか、事態と相手の"気に食わなさ"によって)ツッコミの温度を変えてくる印象だ。笑って流そうとしたときに、「いやそこは言うべきところだろ」と指摘されることもあれば、ほぼ似たような話に対して、そう伝えます、と真面目に対応したときに、「いやいや冗談だから」って苦笑されたりもする。どちらかというとジョークのことのほうが多いのも、混乱に拍車をかけてくる。