世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年05月16日(木)根拠は解析し無化したい

また明日

極めて自然体で見つめていたものが、なんだか突然、怖く見えてくることも、ときどきはあって、基本的にはそれがとても楽しい。怖いけど楽しい。謎の信仰によって、まったく頓着せずに受け止めていたのだけれど、その実、背後になんにもないと、突然感じられるようになってしまい、ビビり始める、みたいな状態である。

たとえば最初に「世界五分前仮説」を聞いたとき、ほんとうに興奮した。「道徳的判断は理性的な推論からは導き出せない」話も、とっても驚いた。時間の流れが実はブツ切りで、ともすれば、完全ランダムに意識上にあらわれていたとしても、気づくことは不可能なんだ、って気づいたときも、笑った。記憶ごと操作されたら原理的に気づけない。明日が3歳で、明後日が82歳でも、記憶ごと動かされていたら気づくわけないし、これが一秒単位でも、気づきようはない。

あとでやろう、また明日にしよう、みたいな無邪気な「後回し」もまた、背後にはなんの根拠もない振る舞いである、とさっき気づいて、やば、って突然怖くなった。どういう行動原理なんだこれ……、と背筋が冷えた。取り扱い注意すぎる。個々の人生の中での使用回数が決まっててよいくらいのやつじゃん、って思った。