世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年04月09日(火)要約したが敬して遠ざけたい

翌日は要約日和

事態の流れと、感じたことと、分析的な考えを、ひとつひとつ追いかけながら書いていったため、昨日の日記は長くなった。まとめるなら以下のようなところなのかな、と、翌日に思いつくことができた。こういう、取りまとめを可能としてくれる脳内の"落ち着き"が、あとあとになって訪れてくれたりする。それも気持ちよい。鋭く短くしゅっとまとめてくれる小気味のよい(自分なりの)要約文も好きである。結局同じ話だから、と遠慮してしまうこともなくはないが、素敵な頭の動きの記録として、書き残しておきたい。

昨日の日記の要約

誤った手順で進められた業務があって、なぜそうなったのか、という糾弾が始まるようなシーンがあった。「なんとなくこうだろうと思ってやりました」が答えだった(ぼくの見立てだと、類似の事例が直近にあったため、ただそれに倣ったのだと思ったが、わざわざそう説明するのもめんどうだったんじゃなかろうか)。ともかく、「なんとなく」ということの"確認の甘さ"がそこでは問題視され、なんでこういうことが起きてしまうのか、という(愚痴めいた)話し合いが始まった。

ほとんど雑談だったが、なんにせよ、初手で出された案というか指針が、「怖い人がいないからだ」だった。正直、衝撃的な話のスタートラインだった。制圧的なコントロール、支配と服従、取り締まり、といったものを、素朴に推し進めるようなことばが第一声として出てくる状態に、ちょっと絶望した。好きな思想ではないし、まったく妥当な判断でないとも思う。せめて初手は、仕組みやシステム面での工夫、あるいは「双方の」コミュニケーションの問題として見つめてほしい。敬して遠ざけたいと願うような文化圏だなと遠巻きに考えていた。