世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年03月27日(水)曖昧さに振り回されるらしい水曜日

評価の時期

年度末が近い。業務の評価がおこなわれる時期だ。大詰めとまではいかないが、「詰め」や「寄せ」は意識している。なんとか底上げしようと最後の最後で足掻くここ数週間、とか言ってもよい。とはいえ、諦めも意識しておいたほうがよいよ、とは思い直した。足掻くのも藻掻くのも、追い込んで突き詰めるのも肝心、という判断も悪くはないが、諦めが肝心と捉えられる認識も同じくらい重要だろう。「評価されたい」「対価が欲しい」あたりに重心がかかりすぎてしまうところもあるし、頭の中がそういったもの一辺倒になるのも、たぶんあんまりよくはない。そういった色合いにギチギチに侵食されすぎるのはなんにしたってよくないと感じる。余白は欲しい。動ける隙間は欲しい。

曖昧な基準に寄りかかる

昨日の日記でも書いたが、現状の業務環境では、基準・水準がだいぶ曖昧だ。見通しのつかない曖昧な基準、ないし、誰かの主観による不安定な基準、があるだけなんじゃないの?と思えたりするところもある。定まらない基準に寄りかかりすぎるのもきっとよくはない。奴隷みたいに従順な態度で従いすぎても見えない落とし穴に落とされるだけだろう。慎重に見極めて動いたほうがよい。期待しすぎてもろくなことにはならない。「諦め」がブレーキになってくれるならそれも活かしてみたらよい。それでもなお、懸命・真摯に頑張りたいなら、自ら定めた基準のもと、しっかり動けばよいのだし。「自ら定めた基準」の決めかたもまた、難しい問題だとは思うが。