世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月7日(火)手軽を警戒する

だらだら書きます

だらだら書きますかね~。といった勢いづけのことばから始まる文章もよいものだ。が、普段は少し避けているかな。そこにある(ありそうな)"緩んだ姿勢"というか"乱れた精神"というか、そういったものが身体に馴染みすぎてしまって、いわば依存状態になりそうなことを怖れているんだと思う。とはいえ、たとえばスマホやコンビニにはすでにだいぶ依存しているわけだし、いまさら「型崩れのことば」なんて怖れてもしかたないんじゃないの、と思わなくはない。だらけたことばを避けるくらいなら手癖でコンビニに寄って割高なジュースやスナックを買うのをやめたほうがマシ説はかなりある。まあ、丁寧に精査してみたら、「ことばの扱いかたの乱れ」のほうが、コンビニやスマホよりよほどあやうい、という可能性ももちろんあるけれど。ことばのほうがよほど自身の人生や実存に接近しているのだから、重視したほうがよい、という判断はたしかにありそう。

ピュアかシンプルか

気持ちに関わる話で、「純粋か、不純か」を問うのは無謀だなあとあらためて感じた。純粋か不純かという問いと、シンプルか複雑かという問いも、間違いなく混同しそうである。シンプルな気持ちを見たときに「純粋だ」と見間違えそうなのは想像できるし、複雑な思惑を見たときに「不純だ」と見誤りそうな状況もありうると思う。というか、純粋・不純の基準がそもそも曖昧だ。「よさ」の話もよくわからない。不純でありながらシンプルな気持ち、純粋な動機が交錯した複雑な気持ち、といったものだって当然あるはずだけど、それらのいずれが「よい」のかも謎だなと感じる。