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日記を書きます

2023年10月15日(日)コンプリートリストと、諦めのタイミング

コンプリートしたリストだけ許す癖

ぜんぶ書こう、ぜんぶを残そう、可能な限りピックアップしよう、としすぎて、ひとつも残さない(未完成のまま、いつか完成してくれるのを待って、そのうちに忘れて、結局は放棄・破棄する羽目になる)、という罠にはよく引っかかっている。すべてがリストアップされた「コンプリートリスト」しか許さないところがあるというか。しかし、その許容範囲の狭さはなんとかしたい。不完全なリストも許せるようにしたい。完璧を待ち続ける愚かさは知識としては持つようになった。数十年も引っかかり続けているのにいまさらそこを回避する動きを会得できるんだろうかとはもちろん思うが。そもそもそういう生き物なんじゃないのという諦めの呼び声も聞こえる。

まあでも直せたほうがよいだろう。直せると信じられるだけの成功体験だって持っておきたい。諦めずに挑んだほうがよい。コンプリートリスト罠は意外と強敵だが、うまく回避できるようになった強力な罠だってこれまでいくつかはあったわけで、同じように挑み続けていれば、対処できるようになる可能性はある。「そもそもそういう生き物なんじゃないの」って判断に引きこもるにはまだ早い。

と考えてはみたものの、それがもう自分の特性なんだろうと諦め混じりに決意して、だからこそそれを踏まえて対策を立ててみせるのと、いやいやまだまだ諦めるには早いぜと、異なる動きが会得できるはずだと信じ続けるのと、どちらがよいかは、不明だ。切り替えの瞬間はわからない。運もあるだろう。もちろん、華麗な見切りのタイミングだってあるというか、見切るタイミングが抜群にうまいひとだっているんだとは思う。試行錯誤でそのテクニックが得られるならそれに越したことはないが、しかし、後天的、意識的に、そのテクニックが得られるかは謎だ。

ただ、挑戦・試行の回数が1回増えるなら、その1回分、変化はする。情報量も確率も変わるだろう。まるで同じということはない。そういった積み重ねがいつか壁を突破させてくれること自体はある。下手な諦めが出てきてしまうくらいならそこにある変動をしっかり見つめたほうがよいんじゃないかなとは考えた。諦めない理由や信じるための理屈を打ち立てる技術というのもまた、関連するテクニックとして踏まえておいてよいんだろうし。