世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年03月10日(日)みかん風くだものをまとめたくないらしい日曜日

みかん風のくだものはたくさん

たとえば見た目がミカン風のくだものはたくさんある。オレンジもレモンもポンカンもデコポンも似ている。はっさくも甘夏もグレープフルーツも似ている。が、それらを十把一絡げにして「ミカン」と呼んでいたら、たぶん怒られる。怒られるまではいかずとも、眉をひそめるひとはいる。そんな粗野な振る舞いを嫌うひとはいるに違いない。

大雑把にくくるのはよくない。乱暴にまとめるのはよくない。精緻に見つめれば違うものなのに(そしてそのこまやかな差が大切なのに)一緒くたにされたらたまらない。実はそんな繊細な違いを有している物事がいくらでもあるんだろう。にもかかわらず、勝手にひとつにまとめられ、甘く見られグループや嫌われものグループと一緒くたにされている事態だって、じゅうぶんありうる。

ピントを合わせる気もないまま、ぼやけて見えているうちは、同じに見える。詳細を理解しようともせず、遠目で見ているうちは、同じに見える。調査すればすぐに判明するような事実確認もせず、乱雑なことばの定義によって、同じものであるかのように語られているものが、きっとたくさんある。こういうあつかいかたって、つまるところ、"軽んじている"ってことだよなあ、とは考えていた。むろん、好きなものがそんなふうに"軽んじ"られていたら嫌だ。

大切なもの大事なものが、曖昧・乱暴・大雑把なことばで、滅多斬りにされていたら、当然、不快だ。丁寧にあつかってほしい。汚れた手で乱暴に振り回すようなあつかいはやめてほしい。しっかり敬意をもって語ってほしい。自分が好きなものに対するこういう思いと、こういう思いをそれぞれが抱えているであろうことは、意識しておきたいな、とあらためて思った。この観点は忘れないようにしたい。知らないものや興味の薄いものが相手だとたしかに難しいが、しかし注意はしたい。

軽薄な本

書店で棚に並んだ本のタイトルを眺めながら、「軽薄な本っぽいな~」「志の低いコンセプトだな~」とか思う瞬間があって、そういうときの判断の内実・基準って、つまるところ、そこで語られるべき根幹(本質や核心)が、「曖昧・乱暴・大雑把に」語られてしまっているであろう状況に対する警戒心にありそうだな~、と気づいた。あつかいやすくするために変なふうに削られていそうというか。その削減する過程で本質や核心と言えそうなところまで失わされていそうだなというか。浅く緩く温く甘く、軽々しく、物事を「型」に押しこめようとする怠け心や不敬に対する警戒心が、「軽薄」「志が低い」ということばに繋がっている。

逆を言えば、"志の高い"振る舞いというものを、「変に一緒くたにはしない」「細やかな差異を軽んじない」「乱暴に削らない」「精緻に見つめる」「違いを尊重する」ということの向こう側に見ていることがわかって、なるほど、と思わされたところもあった。書いていて思ったが、「尊重する」という挙動に重きが置かれていそうな気もした。