世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年03月07日(木)想定より平和らしい木曜日

幸せの記憶

一行でよいから「幸せな記憶」を具体的に日々記録しておく。一年たてばそれだけでまず約365個の幸せの事例や案件が並ぶ。そうして目の前に並んだ「幸せ」の言葉を見つめることによって、幸せが増幅される。とまではいかなくても、まあ、忘れ去られ消えゆく幸せを少しはとどめることができる。この手続き、所作、期待する気持ち、とかって、なかなか好きな観点だなとは思っているのだけど、実践にはいたっていない。認識をかたよらせて誤魔化すのは卑怯じゃん(視野を狭めて誤認させようとする策は嫌いだー)、とか無意識に感じているのかな?とも考えてもみたのだけれど、たぶん違うし。「幸せ」ってなんやねんという根っこを探ろうとしてしまい(なんだって根っこがあるだろうと素朴にというか脳天気に考えすぎて、あるいは、幸せというものを妄想じみた理想論で規定しすぎて)、変な深みにはまっているだけという気もしなくはない。

離れた日

冠婚葬祭があった日。お子さまの戯れる時間がだいぶ削られた日でもあった。泣き叫ぶくらいの事態も想像していた。が、意外とすんなり進んだ。おとなしいのか聞き分けがよいのか従順なのか、線引きは不明だ。夜ご飯も、好物っぽいカレー・ハンバーグを使って、勢いで乗り切った。誤魔化した感もあったとは思う。今回は緊急事態ということで、よしとしておきたい。夜ご飯のあとのお風呂も機嫌よく入ってくれていた。ここもトミカの図鑑で誤魔化した感はあったかな。なんにしても、普段からの関心の薄さや真剣味のなさ、乱雑さが、いろいろな形で祟った事態ではあったと思う。いや、実際は祟らなかったものの、行動や精神は見直したい。追い詰められたことによる学びは濃かった。