世界は称賛に値する

日記を書きます

新単語、誕生の瞬間

▼▼言葉が生まれる時。呼び名が生まれる時。何かが名付けられる時。
▼▼ある一つの言葉が、ある種のものたちを呼ぶ言葉になっていく、のと、複数の単語が、ある種のものたちを呼ぶための言葉として組み合わせられる、のは、意識の動きとしてやはり違うのか……、みたいなことを改めて思った。
▼▼前者は、文化外の言葉、外来語、なんかが、日常、別の文化、の中に組み込まれていくような過程で見かけるやつだ。外来の概念が別の文化の中に根付くというか。ここに多少の変質とかはあるんだろうけど……。そのズレを、新しさ、と見做すかどうか?
▼▼後者は、本格ミステリ、とか、ハイファンタジー、とか、サブジャンルが生まれる流れ、と言えるかな。まあサブジャンルは新概念じゃないの?という話にもなる。


▼▼あと、素直に考えると、外部からもたらされる、とかじゃなく、ただただ新しい概念が言葉として生まれる、という場面があったっていいんじゃないの? っていう気もしてくるわけだけど……。
▼▼昭和なり大正なり明治なり、もしくは幕末、江戸時代、海外から入ってきた外来語に適合させるために、新たな日本語、単語が作られた、というようなことがあったとは聞くから、そのへんが「まったくあたらしい言葉が生まれる瞬間」と見做せるのかな、って気もしたけど、でも、それも、もともと海外で存在した概念が入ってくるプロセス、ではあるわけで……。
▼▼人類が、完全に、一から、新しく概念を思いつく、なんてこと、もう起こらなくなってる、ってことかな?
▼▼いや、科学技術の進歩に合わせたりして、新しく思えるようになっていること、っていうのは、けっこうありそうじゃん? 気づけていないだけ、というか……、いや、複数の言葉の組み合わせ、で呼んじゃってるのかな。あとはまあ近い言葉で誤魔化し誤魔化しやってる、とか。まあ海外の言葉だと少し曖昧に使えるからそのぶん近しそうなものを勝手にあてがいやすい、とかもありそうだし、外来語で誤魔化してる感じはあるかなあ。とにかくそのへんでなんとか済ましてしまってそう。
▼▼あるいは、人類が完全に一から新しい概念を思いつく、っていうの、昔はあった、と思ってちゃっていいの?っていうのもあるかと思う。類人猿からの流れに合わせて「概念の閃き」がいっぱい起こってた時期というのがあるのか?
▼▼漢字は一つ一つ独自の意味を持つ、ので、単語の組み合わせ、と似たような形状で、漢字の新たな組み合わせによる新語、という作られかたも、ある。よく考えたらあるなあ、と思った。これを「まったく新しい言葉が生まれる瞬間」と見るのは、アリ、っぽいかなー。というところで思うのは、アルファベット、ないし、ひらがなカタカナのみ、の言語では「新語」は出来にくい、みたいに判断しちゃっていいんだろうか、ってことではある……。いや、漢字があるぶんこの文化では新語が出来やすい、という傾向はあってもよいのか……。