世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月17日(金)完璧を基準とする

濃密な業務負荷

最近は業務負荷が少し濃密だ。なんとなく隙がない。気がついたときには終業時間を迎えている勢いである。没頭している雰囲気そのものは好きなため楽しいは楽しい。残業せずに今はなんとかやれているが、遅れている項目もなくはない。せめて少しは残業するくらいが適切な状況ではあるんだろう。このまま冗長性のないまま突き進んでいくならいずれ破綻する日も来るのかもしれない。おそるおそる後回しにしている毎日だ。運よく隙間時間がもたらされたら問題なく進められるとは思う。うまいこと時間時間が得られるんじゃないかと変に楽観しているところもある。が、正直あやしい。そんな思い通りいくものでもない。なんにせよ「なんとかなるだろう」がデフォルト値なのは危険である。だろう運転よりはかもしれない運転。楽観よりは悲観。ビジネス的空間では特にそういう観点が有効だとは感じている。

ミス

しかしビジネス的な世界観の中だと「失敗」「破綻」「損害」といったものがほんとうにデカい顔をしているなあ、とはあらためて思った。いいかげん存在感が大きすぎるだろとツッコみたくもなる。どうしたって目に入れないわけにはいかない感じというか。それらを怖れるあまり認識機能の過半を差し出すことが自明になりすぎている感じというか。そこにあって当然という顔で立ち塞がってくるけど、ほんとうにそこにあって当然と言ってよい障害なのかな、とも考えたくなる。「失敗」「破綻」「損害」らを華麗に避けて進んでいくこと(進んでいけること)が基準になりすぎだろとも言える。人類は「あまりミスが起こらない前提」のレースに挑みすぎなんじゃないかなという疑問だ。ある程度のミスやリスクは織り交ぜたクッション性のある戦略が重要とか言われたりもするんだと思うけれど、しかしそんなふうに織り交ぜるにしても、どうせそこで想定しているミスやリスクなんて、数割くらいでしょ、とも思った。少なくとも、半分くらいは成功すると、基本的には思い通りにいくと、思っているのが人類だ。ほんとうにそうなのかなとは言いたくなった。いずれにせよ、うまくやれることがあまりにも前提にされすぎている世界観はそれほど好きではない。ただ、楽しくないかと言われるとそうでもない。ミスなくうまくやってみせましょうということばかり考えて振る舞っている人類を見ているのも、見ているぶんには楽しい。引力が強烈なので巻き込まれたときは困るが。