世界は称賛に値する

日記を書きます

7/18(火) 日常と非常を意識する

火曜日

この先の駅で非常用ボタンが押されたため安全確認をおこないます、のアナウンスをたくさん聞いた。木曜日の電車では3回止まった。火曜日の今日も行きの電車で2回止まった。猛暑が関係あるのかなと思うくらい暑さが極まったところで足止めを喰らう機会が増えたけど、猛暑が理由かはわからない。暑さが理由になるもんかなとも思う。そもそもそんなにわかりやすい理由なんて何もないのかもしれない。ただの不運の可能性はあるし、頻度を勘違いしている可能性だってある。なんにせよ猛暑なんかのせいではないとよいとは思った。人類であれ個人であれ自棄に向かう事態はあんまり望ましくない。ときにそういった自棄じみた思いを抱えることがあったりもするからこそ、皆でそっちへ向かうようなことは避けたい気持ちだ。

なぜか「猛暑で自棄的な気持ちになる」⇒「些細なことでイラついて非常用ボタンを押すひとが増える」みたいな因果を想定したが、「猛暑が人間にダメージをあたえる」⇒「体調不良のひとがいたので非常用ボタンが押された」という流れなんじゃないの?とは思った。

ハンニバル編11回

open.spotify.com

『COTEN RADIO』ハンニバル編、第11回を聴いた。シンプルにすごい人物すぎて楽しかったハンニバル編も遺すところあと1回だ。ハンニバルが亡くなってからの、カルタゴのその後。ローマの非道さと、それだけのことをさせたカルタゴの繁栄の凄さが際立つ話だった。

ひとりの人間の振り絞る死力ですら想像の埒外なところがあるのに、滅ぼされかけた都市の人々が怒りと恨みと絶望の中すべてを懸けて(それこそ髪の毛一本まで使って)死力を尽くすなんていう光景は、ほんとうに像できない。凄いとか怖いとか言ってしまいたくなるけれど、実際はなんにも想像できていないのだと思う。いまのじぶんの緩やかな人生観・世界観ではまったく想像がおよばない。残酷な光景が想像できたほうがよいのかはわからないけれど、まるで見当たらないと、そんなことこの世界にはないでしょ~、とか楽観した口調でわかったようなことを言い出してしまいそうで、嫌だ。できるだけそんなことにはならないようにしておきたい。今いる地点から想像しづらいことであったとしてもありうる。想像を絶するような酷いことだってこの世界には普通にありうる。せめてその振れ幅くらいは想像できるスタンスでいたい。歴史はそのあたりの固定化を緩めてくれるから最近特に好きになった。