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日記を書きます

2023年10月25日(水)文章の穴と、同期ミスで消えた文章

文章の穴ばかり気にする

文章を読み返したとき基本的には「穴」ばっかりが気になる。破綻や断絶や飛躍といった欠けたところばかり発見してしまう。余剰や過剰は気にする習慣がない。贅肉を削ろうとしたこともほぼない。おかげで読み返すたびに着ぶくれしていく印象だ。「穴」を埋めるための言葉をどうしても足しがちなのだ。「穴」が文章を殺しそうな恐怖でも感じているんだろう。致命的だと感じて、そこだけを気にしている。逆に、贅肉は文章を殺さないぜと楽観しているのだとも言える。しかしほんとうにそうなのかな。ただたしかに、「穴」のほうが危うく見えるのはわかる。贅肉は混乱させる効果くらいに見える。それを防ごうとするのはむしろ高度なおこないなのかもしれないが。より上位の洗練なのかもしれないとは思う。

贅肉を削るのも、とはいえ、意識すればできなくもない。たとえば依頼されたらできるだろう。強く意識せずとも振る舞えるだけの筋肉が鍛えられていない状態だ。だからむしろ、そういった筋肉、ないしスキルも、会得してみてよいんじゃないかな、とは思った。太っていく文章をいつも書いているぞと気づいたのでなんとかしたくなった。読み返しながら太らせていくことしかできないのは、ちょっと、もったいない。

消えた文章

書き切った文章がおそらく同期ミスで消えて残念だった。気を取り直して書き直したら3分の1くらいの分量になった。書き足らない感じも特になかった。無駄を省いてきれいに圧縮できたと思えた。こういうことがあると普段の過剰が気になってくる。ただこれを、無駄な垢が剥がれ落ちた、無駄な厚みが出来ていた、みたいな状態で捉えるのは違うのかなとも思う。紆余曲折をへて、右往左往しつつ、回り道や散策や観光を楽しんでいた、みたいな状態だった可能性もある。連想や視野が健やかに働いてくれていて素敵なダンス等だった可能性はある。シンプルになったので、こっちのほうがよかった、とか一概には決めつけないほうがよいのだろう。