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日記を書きます

2023年10月12日(木)進行速度と、思考停止

ひとに寄りかかるタイプの思考停止

いくつかと業者とのやりとりを並行して進めている。昨日も業者の案内をしたが今日も別件の対応を進めた。聞いておくべきことを聞き、進めてもらうべきことを伝え、その状態と今後の段取りを共有しておく、といった事柄の精度を高めるよう意識はしている。前はたぶん、「聞き逃しがあってもあとであらためて質問すれば問題なかろう」「聞かれたときに答えられれば(ぼくがわかっていれば)問題も起こらず進められるだろう」といった意識があった。隙間があってもあとで埋めればよい、だから事前に隙間を埋めることを重要視しなくてよい、なんてふうに感じていた。こういった思考の背景が進行を遅延させるのだと最近は学んだ。あとから質問したからってすぐに答えが返ってくるとは限らない。業者が常にすぐ対応してくれるとは限らない。状況が変わり答えが変わることだってあるだろう。共有をおこたったことで事態を認識していない関係者があらわれ、そのひとがなにかしらの事案に出くわしたとき、そこで停滞させられる可能性もある。進行速度の遅延は命取りである、とまでは言わないが、とはいえ、命取りになることもある。ごく稀なリスクだけどなくはない。金銭の絡むビジネス的な進行ならなおさらだろう。今回はきっと"稀"じゃないのでよいよね、とばかり言ってはいられない。その油断が跳ね返ってくることもある。そういった危機意識も同時に学んでいる。たしかにそうだ。少し考えればわかるようなことだったが考えられていなかった。思考停止していた。前提を洗いなおすような思考停止はしないほうだと思うが、楽観・期待・信用を軽々しく振りかざすような甘えの思考停止はしがちである。最近は反省しつつ、矯正もできているかな。いちおうまあよしとしたい。