対抗する二十五日、金曜日

常套句禁止

常套句が思考停止を誘うので、排除したほうがよいよ、という指南はいつも頭の中にある。思考の手癖で型通りの言葉を吐き出すだけの脊髄反射的な処理に「思考」は無い(のでダメだ)、という警句だ。自動的に出てくる浅慮なんて聞いてる暇はないとする価値観の話だ。初めて聞いてから腑に落ちるまではそこそこの時間を要したのだけど、今はすっかり馴染んでいる。確かに無価値だと思うタイプの認識に落ち着いた。とはいえ、常套句がほんとうにそのひとにとって常套句かは、曖昧だろう。気をつける必要はある。車輪の再発明みたいな形にはなるかもしれないけれど、真剣に考え抜いて「常套句と同じところ」に辿り着いた可能性はある。聞きかじっただけの言葉をかっこつけて吐き出してるだけでしょ、と軽んじた対象が、極めて丁寧な深謀遠慮を通して辿り着いた境地である可能性はある。そして、緻密な思索によって支えられた「常套句と同じように見えるもの」には、常套句とは異なる価値がありうる。

思慮深さの勝ち

浅はかさと思慮深さを比べたら、ほぼ間違いなく思慮深さを勝たせてしまうな。思慮深いことをよしとしたがる趣味であり美意識であり癖がある。まあでもケースバイケースではあるが。絶対なんてものはない。疑問の余地はいつだってある。そういう問いを向けたがるのもまた癖ではある。浅はかさが勝つ場面かー。なかなか難しいけど、あってもよい(結果オーライで勝たせるのはあんまり意味なさそうなので、丁寧に「場」を設定したい)

浅慮と遠慮

「浅慮」の対義語って「遠慮」なのか? 昨今のイメージで捉えるとそのままの対立関係にはなってなさそうだから、時間の経過によって意味が変形していったパターンか?(遠慮は「遠慮する」的な控えめなイメージがあり、「浅慮」の正反対ではなさそう)と思いついたのだけど、調べてみたら結局、「浅慮」の対義語は「深慮」であった。ええ~、深謀遠慮って言葉あるのに~、ってなった。深謀遠慮の「遠慮」は「深慮」っぽい意味合いを持ってそうじゃん~、ってなった。余談だけど「深謀遠慮」は類似品に「遠謀深慮」「深慮遠謀」の言い回しもあって、使い分けられん!と結論した(意味も同じっぽいので使い分ける意味もなさそうだが)。ちなみに「深謀遠慮」対義語は「軽率短慮」であった。なるほど。軽い浅い深い遠いの切り分けかた、わからん。

日記

好きな日記は日常描写の中に思索が混じってくるやつだ。普段の動きを描きながら、そこで発生した考えごとが混じってくるやつが好きである。書くときの気持ちで言うと、ちょっとだけ書くのがたいへんなので、思索優先の日記に流れがちではある。生活の描写って難しい。言葉にするときに何にフォーカスすればよいか悩む。目の前のボールペン、Nintendo Switchのコントローラ、カレーライス、収納ケース、パソコンの不調、エディタの選定、ブラックフライデーセール。どこをどう切り取って言葉にしたほうが最適なのか悩む。最適という観点で見ようとすることがそもそもよくないよとも思う。日記に「正解」を求めることを批難する(再考させる)スタンスだ。日記に正解はない――生活に正解がないように。とは思うし、思うのは気持ちよい。妥当だし、妥当さの快楽がある。でもまあそういうのって(答えはないよね~みたいな突き詰めた判断って)変に安住してしまうので微妙だ。微妙だけど、安住はよい、とも思う(安住ばっかりになって停止するのは困る。ただ、安住がない状況よりはよい)。