世界は称賛に値する

日記を書きます

理解力の火曜日 6/6

わかりそう

子どもの頃に見ていた世界のほうが"よい"ものだった可能性はけっこうあるなと思っている。よいの定義が難しいけれど。そして、子どもの特性のように思われがちな純粋さや素朴さの話ではないけれど。

なんというか、子どもの頃の世界観は、「わからなさ」がもっと、適量で適切な姿をしていた気がする。きちんと「わからない」と思えていたというかな~。大人になっていき、いろいろなものに対する認識、知識、意識が出来て、おおきくなりすぎてしまった結果、なんに対しても、「わかりそう」だと(まず最初に)思う癖がついてしまったんじゃないか、みたいに感じる。「わかる」「わからない」のあいだに引かれるべき線が、世の中という雨風にさらされ続けた結果、ボコボコになり、うまく判別できなくなってきてしまった、という感じ。

火曜日

昨日の業務が慌ただしかったせいか、やや落ち着きを感じられる日であった。新しいひとに向けておこなった昨日の「基礎」の話はなかなか大変だった。そして、今後も同じようなフォローをしていったほうがいいんだろうかと考えていた。してもよさそうだとは思える。昨日の話はほんとうによい基礎固めだった。説明して損はない。今回の資料を更新し、説明の質と幅を高めていくのも楽しそうだ。ちょっと推し進めてみようかなとは思った。

帰りにまた電車が遅延していてちょっと厄介だった。非常停止ボタンが押されたことによる遅延が最近増えているという気もしたのだけど、勘違いかもしれない。歩きスマホ事故のせいで非常停止ボタンが押されやすくなった的な噂も聞いたのだけど、これの真偽も不明だ。ただでさえ統計とか確率とかに弱い人類ではあるので、あんまり惑わすような「頻度」を見せつけるのはやめてくださいよ~、とは思った。