世界は称賛に値する

日記を書きます

機嫌由来の9月26日火曜日

火曜日

不機嫌っぽいなと感じやすい相手が昨今の仕事まわりにはいるわけだが、時間の割合でいえば、不機嫌じゃなかった時間のほうが多いはずである。が、不機嫌時の被害が甚大なため割合によってそれを許容することは無理だった。稀だろうと嫌なものは嫌、ってなった。数日前まではそこそこの不機嫌がうかがえ、昨日今日はなんとなく温和な風情が流れていたが、しかし、さすがにそろそろ受け入れがたい、と思った次第だ。まあよいかとは流しづらくなってきた。

機嫌の波がある。寄せては返すこの波の中、不機嫌側の波から被害を受けるたびに、少しずつ、精神の反発的な"張り"が強くなってきている。防衛機構の動きがよくなってきている。温和ならそれに越したことはないし、ありがたい。が、なんにせよ、どんどん、評価は下がっていくものなのだな、と、むしろ今回はおもしろく認識したと言ってよい。おのれの胸のうちを眺めて、なるほどねえ、って思った。

しかし、「不機嫌な上司が嫌だ~」という話をこんなに継続して書き続けてしまうとはと驚かされている。こんなこともあるのかと自分に対して驚いている。いままであまり経験してこなかった事例と言ってよい。これまでいまのような職場を経験したことがなかったのだから、"これまでにない"状態になるのはまったくおかしくないが、それでも意外ではあった。このあたりの日記をあとで読み返したときにも驚かされそうである。流石にそればかり気にしすぎだぞとも言いたくなりそうだけど。

文章としておもしろいかもあやしいしな~。つまらない文章だと判定される確率は高めだろう。愚痴っぽい話は遠ざけられがちだし。さらに言うなら書く側としてのつまらなさもなくはないし。同じことばかり書いている状態はそもそもあんまり好きじゃない。飽きる。とはいえ、つまらなさ一辺倒というわけでもなく、おもしろさもなくはない。特に、情動に振り回されてぜんぜん整理できないところは、なんだかんだおもしろい。混線するあまり辻褄合わせに苦心させられるのも愉快だ。難しいのも嫌いじゃない。といったつまらなさとおもしろさの混ぜ合わせにはなっていて、なんとも言えない状態だ。いずれにせよ、こんな継続して書き続けてなくてよいんじゃないかと考えることはある。でも書いちゃうね。耐えるために書かざるをえないみたいな精神はきっとあるんだろう。

このあたり、軽々しく言語化していると、ほんとうに「つらくて今は文章に逃げています!!!」みたいな空気が出てしまって、嫌だな~。たぶんそこまでではないからだ。言葉を繰り始めたときに、目がなぜかそちらを向こうとする強制力はたしかに感じるし、書いたら書いたで、解消的な効果があるのもわかるのだけど、でもしかし、このひどい傷口をなんとかしたい!ほどの気持ちでは書いていないというか(比喩あってんのか)。いずれにせよめっちゃバランスがムズい。このひと嫌いです!!!ってあんまり言ってこなかったせいなんだろうかとは考えた。免疫がないせいでの過剰防衛みたいなところはある気もする。