世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月1日(水)不機嫌に慣れる

きめ細やかな業務

小さな業務がたくさん並んだ水曜日であった。振り返れば妙にきめ細やかな光景だったようにも見える。ばったばったと作業を切り裂いていったつもりだ。乗りこなせないほどではなかったため嵐の中で船の舵取りをやりきったような満足感はある。達成感、充実感ともいえる。このあたりの気持ちよさ・楽しさを区別するのは昔から難しい。そしてまだ熱が残っている。余韻がある。楽しかったという錯覚にも繋がっているなと感じる。冷静に考えると嫌なところもけっこうあったはずだが、いまは脳裡に浮上してこない。指導者の不機嫌が間近にあったのは間違いない。それを恐れと苛立ちで受け止めているシーンも間違いなくあった。というか、そもそもそういったシーンを描写しようとと思って書き始めた文章だったはずである。にもかかわらず、いまは前面に出てこない。謎の陽気にとらわれている。気分に左右されているんだなとは思った。人間の認知は「気分」「印象」に支配されすぎだろうと気にしていた時期もあったが、最近、前よりは気にならなくなっている。たぶん不平不満が増えたせいだ。この状態を「気分」「印象」によるものだと捉えると、なんというか、怖くなるためだ。不平不満が「気分」「印象」に還元されるなら逃げ場はないと感じる。制御できないところに原因があると言われて困る未来が見える。ゆえに、目を逸らしている。そうでないと信じるため、あるいは、そうであると気がつかないために、逸らしている。なにが変わるというわけでもないかもしれないけれど、とか言いつつ、そうすることで「気分」「印象」が変わるじゃんとは思っている。

不機嫌者

少しひさしぶりの不機嫌者の隣での仕事であった。いうほどミスしてなくてもこの空気を出されるんだなとは思った。こちらの事情はほんとうにあまり汲まれていないんだろう。もちろん気づかず迷惑をかけていた可能性はある。しかし、明らかに忙しそうではあったし、そのせいでただ機嫌が悪かったという可能性のほうが、まあ高いと想定される。それがわかっていても、多少は"喰らう"が、しかし、逆に、それが繰り返されるならまた違うかもしれないとも思う。こちらの行動と無関係であることが浮き彫りになっていけば受け流す精神を構築していくことが可能かもしれない。だから繰り返してくれたほうがむしろよい、とまで言ってよいのかはわからないけれど。