世界は称賛に値する

日記を書きます

断言優先の9月27日水曜日

強弱にこだわっているひまがあるなら

「とても」「かなり」「少し」「やや」「ちょっと」とかの副詞の乱用を避けていると数日前の日記で書いた。

meltylove.hatenadiary.com

こういった気持ちの強弱は、別に、欠けることなく伝えなければいけないものではない(伝えたいと強く感じられたときにのみ使うと決めて、減り張りをつけたほうが、きっとむしろ伝わりやすくなる)と考えた結果だ。けれどそのぶん、正確性というか、精密性というか、ほんとうにしっかりと自分の心に問いかけたときの答えは、描けなくなる、んじゃないだろうか。省かれてしまうのは間違いないはずだ。なら、おのれの心の記録としてはよくないのでは?おのれの心を把握するための認識力を鍛える機会をおのずから手放しちゃっていることになるのでは?とも考えた。

暫定的には、そんな強弱にこだわるより、その時間で、もっとやれることがあるんではないか、というのが結論だ。ある気持ちの強弱に目を向けて、それを残すかどうか迷っている暇があるなら、むしろ、別の一文、解説なり、補助線なり、別枠なり、新たなスポットライトになってくれるであろう、新たな一文を、その横に置くかどうか検討していたほうが、効果的なんでないか、と思ったのだった。

ぼくがそれを"どれくらい"嫌いか、その強弱を副詞で詳細に書いてみせるくらいなら、まずは「嫌い」と言い切ってしまって、そのあとに、「ニュアンス・強弱」の理由や歴史の薫る一文を、置くことで、単なる強弱の話などよりよほどしっかりしたなにかが、伝えられるんじゃないの、と考えた次第だ。そしてきっと、その追加の一文でより多くのことを伝えることは可能だろう。だったら優先順位はそっちが先じゃない?って思った。いつだって時間は限られているんだし、対処すべき問い・答えの数まで検証したほうがよいよ~、と思った感じである。