世界は称賛に値する

日記を書きます

7/13(木) 会議の空気を意識する

打ち合わせ

午後の打ち合わせは無事に終わった。昨日から"暗雲が立ちこめている"くらいの気持ちでいたけど勘違いだった。運がよくて(機嫌がよくて)今回はよいほうに転んだというだけの可能性もじゅうぶんある。細かい雑味に対するツッコミではなく全体的な志向に対する助言だった。よかった。進捗も問題なかったようだ。モチベーション、エンゲージメント、ロイヤリティ等々をうまく調整された気もするが、以前はあまりそういう意図を感じなかったので、そうであればむしろよい。いくつか相談もできた。今日はなかなかよい一日だったと言える。"今日は"という単語が出てくる時点でよくないのではという説はある。言うほど機嫌に振り回されている感があるわけでもない。が、ないとは言えない、くらいの割合だ。

縦書き

縦書きでひさびさに文章で書いた。単語の距離感の調整に違和を感じる。ぎくしゃくする。慣れの影響ってかほどに大きいのだなと理解した。最近は横書きばかりだった。スマートフォンでも違和感なく文章を書きたいぞ、と思ったことがまずあった。スマートフォンで縦書きを実現するのって難しいのだ。Androidは不明だけどiOSだとけっこう厳しい。結果として横書きが増えていった次第だ。業務でのメールのあつかいが増え、そこが横書きなので、余計に親しんでいったという経緯もある。

いずれにせよ、横に並んだ単語と単語を見比べるのが日常化していた。慣れていた。おかげで、縦に並ばれてしまうと、意味と意味のあいだをどういうふうに想像すればよいのかわからなくなり、混乱する。こんなにしっくりこない手触りになるんだなと驚いた。読書では縦書きに親しんでいるはずなのに、なぜ?とは思った。

単語や文脈をチェックする事態において、書くときチェックと読むときチェックでは、脳や意識の働きが異なる、といった可能性は当然ある。が、読むときチェック(書くときではなく、おそらくは、読むとき)はなぜかわりとサボられがちといった可能性もある。サボるというか、緩く甘くなりがち、かな。書くときチェックのほうがたぶんしっかり為されている。この"書くときチェックの精密さ"を読むときチェックにも援用したい、同じくらいの精度や密度で運用したい、同じレベルに引き上げたい、といった気持ちがある。レベルが異なることにむしろ旨味があって、余計なお世話、という状況もありうるけれど。