世界は称賛に値する

日記を書きます

20230813 同一の話

日曜日

胃もたれか頭痛か原因が特定しづらかったがなんとなく不快な日曜日だった。ときどき頭の働きにくい瞬間があった。ひらめきやすくなる鮮明モードに意識を持っていきづらい場面がちょくちょく見られたというか。寝不足のせいかなあとは思ったけれど肉体的疲労も関係していそうではあった。愚鈍の匂う挙動を見て残念な気持ちにはなった。が、今後、歳を重ねていくとともにこういうことも増えてはいくのだろう。いつだって元気いっぱいというわけにはいかないはずである(現状はまだコントロールできているという謎の楽観がいまはある)。鋭く考えられないのはダメだ、効果的に思考できないとダメだ、なんてふうに短絡してしまう世界観は構築しないよう注意はしておきたい。そもそもひらめきばっかり贔屓しがちではあるのだ。是正はしておきたい。出来事として特筆すべきことはなし。金曜土曜と似通った休みの日だった。ダンボールを片付けた。加湿器の掃除を忘れた。

同じ話

このひといつも同じようなことばかり言っているな、しつこい、飽きた、と思われるくらい繰り返し言わないと伝わらなかったりする。聞き流されて消える。見逃されて終わる。しっかり届いたものってむしろつまらないくらいに繰り返されたものだ、と想像できる心得はあってよい。嫌われても避けられてもぶつけ続けないとダメなんだ、という理解を可能にするための日常的な心構えである。日記を書いていると、けっこうな話が、同じような問題意識に収束していく。またこの話をしているなと自覚させられる。そこで引っ込めてはいけないよ、とはときどき思う。もちろん引っ込めてもよいのだけど引っ込めないことのよさもたしかにある。"また同じ話をしている"からこそ響くシチュエーションがある。