世界は称賛に値する

日記を書きます

抽象人生の9月3日日曜日

寝る

月曜日と火曜日の朝は少し慌ただしくなるであろう予測があった。なんとかなるだろうと楽観して特に早寝せずにいたら、思った以上に寝られず後悔することにはなった。翌日が眠かった形だ(後日より遡った視点で書いている)。寝不足が続くと意識レベルが常態的に下落する話は見かける。普通のつもりでいても酔っぱらいくらいぼんやりするようだ。最近それを体感できた気もしている。困る点もありつつ多少はおもしろい。薄ぼんやりしている状態そのものは悪くない手触りかな。見通しが悪いのもときには愉快だ。ときどきがくんと寝落ちそうになるのだけは困るが。そして、いらだちの気配が濃くなる瞬間もあった。昨今の寝不足の流れでそれがわかった。これまでの人生ではあんまり発動の機会がなかった。分水嶺を越えたんだろう。明確にいやだとも思った。いらだち確率が高まるのはなんかダメだ。嫌いな精神だ。ふわふわとかゆったりとか言える静かな心根が好きである。あらためてそう自覚できる貴重なシチュエーションが得られたとは言ってよい。まあなんにせよ、こういった精神状態を呼び覚ましてしまうなら睡眠不足は許容できんなあというのが暫定的結論だった。寝ましょう。

抽象論が構えやすい

抽象論ばかり口をついて出る。自分のその振る舞いを見ていて抽象的な話が好きみたいだなとは考えた。もしくは具体から抽象に向かって粒度を変えていく様が好きなのかな。というか人生の話が聞きたいし話したいんだろうとも思った。人生論や人生訓だとどうしても"抽象化"が絡んでくる。巨大すぎるし、細かすぎるし、曖昧すぎるので、具体的エピソードじゃあうまく立ち向かえない、というかな。攻撃が当てられない。

いやでもこれは、立ち向かいやすいだけ、攻撃が当てやすいだけ、処理しやすいだけ、って言いかたのほうが適切になってくる気もしてきた。具体的エピソードを携えて人生と向き合うのも不可能ではない。難度はたしかに上がる。が、可能だ。具体的エピソードは要するに個別エピソードなので、武器としてそれをあつかうなら、めちゃくちゃたくさん集めて攻撃が通用する相手を増やすか、びっくりするほど核心を衝く聖剣でも用意して絶大な効果を発揮してみせるか、どちらかになってしまうんだと思う。それが大変ってだけだろう。抽象論が武器ならそこまではいかない。けっこういろんな相手に効果がある。負荷が減る。処理しやすい。楽ちん。といった状態だと今回は解釈した。具体的エピソード縛りで人生を相手取る"やりこみ"は苦労しそうである。