世界は称賛に値する

日記を書きます

瞬発力の火曜日 6/20

毎日書くオチ

「日記」と「毎日書く」の組み合わせ・噛み合わせについて考え始めると、いろいろ迷うところもないではないけれど、突き詰めれば別になんでもよい。どっちでもよい。別に日記は毎日書くものであってもよいし、毎日書かないとダメと思わなくてもよい。思ってもよい。日記って概念、わりとなんでも許容してくれそうだしね~。という、この「なんでもよさそう感」と「ステキ感」の相性のよさ(相性がよさすぎるところ)が、明らかにズルだよね、というのが、昨日書いた日記の主旨であった、ということを思い返したりもした。閑話休題。それはそれとして、毎日更新的に文章を置いていると、重いというか速いというか、思ったよりすぐ彼方へ流れていってしまう印象が強いな。あれもうどっかいっちゃった、ってかなり頻繁に思っている。自分で書いていても思うくらいなのだから、ひとが書いているものだったらなおさらだろう。なので、ひとに読んでもらいたいという意志のもとで書くなら、毎日更新は流石に過剰というか、合ってないのではないかとは思ったりもするのであった。適切な速度じゃないとは感じる。が、まあそれでもいいような、そうでもないような気持ちを持ちつつ、書いてはいるが。正直そこだけちょっと思考停止していると思う、または、そこに関してはなぜか目を逸らしている。周囲に目を向けないようにして、おのれの精神上の欲だけ見つめて、書いているっぽい(しかも、執筆欲、とかじゃなくて、カレンダー上すべてに文章的なものがいちおう揃って並んでいる→ぱっと見キレイに見える、ってだけの欲だ)。けれどそんな気持ちも許してくれるのが日記だよ、という雑なまとめを書いてみたが、それはまったくよいオチではないよ、とも感じた。まあよし。終わり。あ、アンコール的に続けるけど、ほんとうに雑多に、スピード勝負でこういうふうに書いた記述って、基本的には、かなりよい「着想」「発想」が混じってきてくれる(という経験則がある)。好きなところだ。そしておそろしいことに、そこだけ抽出できない。ぐちゃぐちゃに絡まった空間内でのみ存在が許される(ほどくとそのままかき消えてしまう)、みたいな雰囲気がある。